満足度★★★★
通りからそのまま、お二階へどうぞ。
昇りきって右=入口で靴を脱いで廊下を行けば、すぐ受付。家屋がすでに「おうち」の雰囲気で、小さい頃親戚の家にお邪魔した時の、知った間柄でもちょっと遠慮がちに、きゅっと締まる感じがして懐かしくなる。そういう古い木造の内部だから気分はこの「場」のワールドの浸潤を受けている。廊下の行き当たりを右へ。見れば六~八畳に椅子と座椅子が置かれているが、詰め詰めでも二十人位ではないか。真に親類縁者を招いてのお芝居披露の光景で、これは贅沢というのだろうか。演劇界では著名な俳優諸氏の顔も。
四人姉妹のお話は、借景のリアリティにやや及ばないながら(・・何しろ「場」が満点はじいてるので)拮抗するだけの家族ドラマを作れていたのではないだろうか。 難点を言ってしまえば、リアリティという点で、たとえば家族同士なら互いを知りすぎている分、もっと大雑把が許されたり、悲壮な事には決してならないところ、思いを改めて言葉化したり、普段と違う反応が起きるという展開のためには、お互いの何かが掛け違うための事件や、非日常的な状況が舞い込むとかがほしい。後半、「悲壮」の土俵に乗ってからの、互い互いの反応の引き出し合い、ヒートアップの具合はよくぞやりました、と判子を捺せた。ので、そこは惜しい。
・・胸にしまい続けてきたものをついに吐き出さずに社会に出、結局はしまい続ける事になるんだろう・・それが家族という共同体を「成立」させる方途であるとわきまえていたりするし、不条理と混沌の揺籃期をどうにかこうにか経て抜け出せたからこそ、今の自分がある・・ 家族とはそういうものだと割り切っていたりするものだが、それでも人としての権利や平等、正義を求める心は「過去」に触れて叫びを上げる。これを言葉にしてout putし、心にたまった澱をそぎ落とす機会など現実にはそう訪れないことだろう。 この芝居はその意味でHappy Christmas!なドラマだ。何よりも、この「吐き出し」の儀に体当たりした役者の入魂ぶりに、感動を催すのだろう。
廊下を通って靴を履き、階段を下りて築地の通りへ。単なる「場所借り」でなく建物に入った時点から「演出」の守備範囲の中にあり、芝居ともども成功していた。
ただ贅沢を言えば、選択された「場」は時間の経過、ギャップをはらむので、完全なるハッピーエンドというのは(「場」と芝居がリンクしているなら)懐古主義にとどまる、という事に理論上なるし、実際のところ自分の感覚としてもそうだった。よいお話をパッケージとして提示した、という事にとどめない「何か」を、感じたいというのは正直な(贅沢な?)願望だ。
具体的にどこがどうとは言えず、また今回の公演が作り手の主観としてはどうなっているか、読み取りきれていないかも知れないから、ここまでとする。
2016/01/02 14:39
ご観劇、「観てきた!」への口コミ、ありがとうございます。
たくさん感想を書いていただき、大変嬉しく思います。
鶏由宇のこの素晴らしい空間と、より素敵に共演できるよう、これからも本作の作品作りに励んでいきたいと思います。
また是非、四姉妹に逢いにいらしてください。
ご来場、心よりお待ちしております。