悲しみを聴く石 公演情報 風姿花伝プロデュース「悲しみを聴く石」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    銃声の町、土壁の中の静けさ、心の炎
    昨年の「ボビーフィッシャーはパサデナ・・」に続く、劇場支配人那須佐代子出演・上村聡史演出の海外作品。今回は同名小説の戯曲化である。昨年の舞台が圧倒的だっただけに今回はどうかと、不安と期待を交差させながら客席で開演を待つ。戯曲の出来という点では甲乙ついてしまうものの、深みのある舞台にまた出会えた喜びが勝った。 必然的に「静寂」をともなうこのドラマの劇的状況は、戸外で断続的に鳴り響く着弾音や銃声によってさらに強調されるが、ドラマ上の問い(観客にとっての不知)は、そこにずっと横たわっている男と、彼への女の語りかけによって純化する(答を追う価値を高める)。
     女はどこか諦観を帯びているが、夫の不在(ある意味での)によって熱情を帯びてくる。それは希望にも繋がっている。虐げられた者がつかむ希望は普遍的であり、瑣末な凹凸をならし、背徳と地続きである。 自由の地平を切り開く者は、自分自身であろうとし人間であろうとするがゆえの背徳へ至るものなのではないか・・などと考える。キリストは当時の支配的考え方では背徳者だった。 このドラマの人物たちのあられもない秘部を、観客は最後には受け入れてしまう。舞台上で起こることが視覚的に、徐々に明瞭に現前させてゆく大胆な演出の賜物でもあるだろう。

    ネタバレBOX

    アラブの女性が置かれた被差別的状況について、たとえばタリバンやイスラム原理主義(若者が傾倒し一勢力を形成して行く)との関連で知らされることが多い。事実そのとおりだと思うが、タリバンも、新勢力の台頭も、他国(米国など)の影響というものが相当響いているのではないのか?・・ということもよく考える(考えるだけでちゃんと調べはしないが)。 しかしこのドラマでは女の敵は夫である。この敵を、彼女は愛そうとする。愛への希望を抱こうとする。その心からの願いがひしと伝わってくる瞬間が、このドラマを美しいものにしていた。
     この愛の形は、押し入ってきた若い兵士の申し出を受け入れる行為に繋がる。兵士の言動からは「女性」への古い観念に凝り固まっていることが垣間見られるが、彼の身体は、(強姦から逃れるためについた嘘)娼婦という名乗り出にその時は衝撃を受けつつも、やがて正しく反応する。即ち、再びこの家を訪れ、「買いたい」と彼女に言うのだ。
     この男の行為、娼婦を買うという行為はこの劇のこの場面に限って、人間的で自然で美しいものになっている。 女の身体から、彼を包み込む愛が立ちのぼり、私は今居る場所から遠くへ連れて来られたのを感じ、幸福になる。

    0

    2015/12/18 01:11

    0

    0

このページのQRコードです。

拡大