満足度★★★★★
65分くらい(上演時間)
休日出勤のあときょうくらいしか見にいけねぇ!とダッシュで向かったら奇跡的に間に合った(苦笑
桜井氏の脚本を本人以外の演出・出演で見に行くのってあんまり記憶に残ってなかったんでどんなものかと思って少し不安に思ってた。正直。二次創作みたいなもんかな?とも。でも観始めてしばらくして慣れてくるとがぜん「良いじゃない!」となってきた。さすがに桜井氏の役を本人以外がやるのは違和感があったけど、でもこれが良い道筋になるんじゃないのかな。誰かがやらないと他の人が真似しにくいともいえるし。
個人的にはこういう作品こそ高校演劇とかで上演するものなんじゃないかと思った。
多くの名作はバランスを重視するあまり愛情的な物が描かれない。
そもそも愛情みたいなものはアンバランスの塊みたいなものなんだから、バランサーになった時点でどこか遠く隔たってしまうのは当たり前なのかもしれない。
その点、この作品はアンバランスの塊。
作品の無軌道な構造そのものが愛を体現しているといっても良いのかもしれない。
しかも、そこに別人の演出によってさらに奇妙な安定感が生じているように見える。
ん・・・こんなことあんのか?
こういう演出のことをマジックと言うのかもしれない。
舞台の上に登場するのは頭のネジがぶっ飛んだ登場人物ばかり。
それなのに、そこになんだか奇妙な夢の中の靄みたいな空気が漂う。
落ち着いた悲壮はやがて、対峙するディスコミュニケーションと共に、なんだか主人公の苛立ちとゆるふわの入り混じった夢の中にいつの間にかみんな取り込まれてるみたいな・・まるでJ・G・バラードの夢限世界に4畳半宇宙が何の特別な小道具もなく口先だけの囀りによって取り込まれていくみたいな・・そんな奇妙なねじれ感が、見えてくる。
一見何てことないけど、こういうのって想像以上に凄い。
言葉は桜井氏で演出が関村氏というのでどうなるのかと思ったけど、ようはリリックがパンクでメロディがそれとはまったく別の・・うまい喩えが思いつきませんが、スミマセン(苦笑
普通、こういう荒馬みたいな脚本を使えば台詞ばかりが頭に残るけど、今回は演出も両方残る。
作品の中に登場人物以外に2人いる。見える。
その2人が主人公と見えない幽霊の愛について神輿を担いでいる。
最初、それが愛には見えなかった。
でも今は見える。なんでかよくわからんけど(苦笑
なるほど、「僕たちこんなに愛しているんです」っていう人たちは本当は愛してなんかいないんだね。きっとなんか愛しているってことは、誰かが居なくなったとしても一人でニコニコしながら退屈そうに散歩できる人なんじゃないかね?小一時間くらい。
心の中に人ひとり住まわせられるかどうかってことは、きっと、心霊写真専門のキャメラマンのレンズによってしか分からないものなんじゃないのかね(笑
人生や愛とか呼ばれるものは凄くシンプルなんだと思う。
桜井氏の脚本は100年経って今の役者がみんな死に絶えるころには不朽の名作になってるかもしれないな、とかふと思った。
でも今回の舞台自体も地味に凄い気がする。
観客が異様に少ない(キャパゆえに)というのが残念なところではあるんだけど。
ちなみに帰りに会場近くのホームセンター寄ったらもう閉まってた(苦笑