満足度★★★★
城山羊3作目、斜に見た感想
岸田戯曲賞を取った前後の舞台を観ていた。リアリティを平然と無視して「娯楽」(即ち意表を突く殺害・濡れ場・裏切りなど)を優先し、観客はそれを良しとして喜んでいる、何と低レベルで下品な空間だろうと、唾を吐きたくなる初回であった。下品さをカバーする「何か」もない(何やら有りそうな雰囲気を醸してるが・・)。ただ、二度目、相変わらずリアリティ無視のテキトーさに再度唾棄したのだったが、「真面目に作ってる」様子がどことなく伺えた。もう一度だけ見てみるかと、今回三鷹くんだりまで足を運んだが、芝居が成立しており、最後まで面白く観た。
終盤で時間経過がおかしい部分があったものの、そこで城山羊の会の特色をいま一度思い出したという事で、そこまでは破たんなく見れた。ただし、ぶっ飛んだ話である事は同様で、これを成立させていたのはひとえに役者の力、とりわけ吹越満の演じる中産階級の狂気と良識の両極に振れるキャラクター、また周囲の者を常軌を逸した行動へ突き動かす謎の女性の美形、肉親でありながら別人である事を否定し受けいれてしまう妹、その夫、謎の女性の夫、男の娘のサディストぶり、彼女と不思議なバランスで関係している彼氏、胡散臭いコンサルタントなど、いずれも常軌を逸した事態を成立させるべくそこに立っている。
城山羊の特色は、あり得ない場所やタイミングで「発情」し行為に及ぶ場面が必ずある、という事らしい(三作とも共通していたので恐らくそうだろう)。
必然性があれば文句は無いがお家芸のようにその場面を仕込む必要はないのではないかと素朴に思う。しかしそれが集客や人気に繋がっているなら、時代のほうがエログロを擁する土壌と化しているのかも。文明の爛熟の中、抑圧状況を身体が感知している・・
お話については特段何か言い添える事はなく、深読みできる余地もないが、ただある場所で、奇妙な出来事が起こり、その事態にあって初めて人間が見せる興味深い反応を、舞台上で描いて見せたものだ、と言える。で、毎度の事、その感情は人間が「追い込まれた」時のそれであり、作者の狙いもそういった修羅場での人間のありようを如何に醜悪に描き出すか、という所にありそうだ。
今回は優れた俳優(チョイス)と戯曲とのマッチングにより、他では目にできない舞台を味わえた、と思う。