満足度★★★★★
黒薔薇少女地獄:『緋色、凍レル刻ノ世界、永遠』
昨日は、観劇三昧の一日。お昼は、新宿のSPACE雑遊で、松本稽古さんの出演される舞台、黒薔薇少女地獄の『緋色、凍レル刻ノ世界、永遠』を観劇。
「少女は右手にカッターナイフを握ったまま、動かなくなった相手と唇を重ねた。
その瞬間を永遠にして、凍らせるように。
だが15年の刻を経て、時間は再び溶けだしていく。
2000年と2015年、4人の少女、ふたつの物語は今、重なり合う……。」という内容としては重いもの。
地下へと続く階段を下り、扉を開けると真ん中にぽつんと置かれた白い小さな台の上に白い一脚の椅子。
その椅子の周りを、深紅に染まった少女の絹糸のような長い髪を思わせるような、細いリリアンを編んだような糸のカーテンが取り囲む。
その椅子に座る一人の少女と、その少女と背中から抱き締めるように立つ一人の少女がいる。
寮生活を送る女子学院の中、少女漫画にあるような、閉ざされた世界の中で芽生える少女期の危うい耽美な少女たちの恋の話かと一瞬見紛うが、背中に立つ少女の手に握られていたのは、一本のカッターナイフ。
そのカッターナイフがもう一人の少女の喉に触れ、少女の白く柔らかな喉を切る。切られた少女の顔には微かな微笑、切った少女はその唇をそっと重ねる。殺めた少女の面影をその胸の中に凍らせて、永遠に閉じ込めた少女と、少女の胸に自らの面影を凍らせて閉じ込められることを望んだ少女は13歳だった。
「なぜ、人を殺してはいけないのか?」彼女に問いかけられた同じ問を、15年後、同じ女子学院の同じ場所で、同じ事件を起こした少女15歳の麻緋(あさひ)は、投げ掛けられる。
虐め、実父からの暴力と性的虐待、救いのない孤独という緋色の檻に閉じ込められ、追い詰められた二組の少女。
なぜ、彼女たちは、大切なただ一人の親友を自らの手で殺めたのか?
凶悪な未成年者の犯罪が増えてきている現在、こういう事件があると必ず言われるのは、家庭環境や虐めの問題。今まで見て見ぬふりをしてきたくせに、一度事件が起こると、今の子供たちの心の闇だとか、周りの大人たちは虐めに気づかなかったのかとか、命の大切だとか、虐められて命を自ら若しくは奪われた子を可哀想な子としたり顔で解ったような事をいう人々。
そんな報道を耳にする度に、小学生3年~6年まで、全クラス対一人という虐めを受けていた私は冗談じゃないと思う。家庭環境とか、親とかは関係ない。
本人の中に巣くう、本人さえ得体が知れない毒や、残酷さ、苛立ちをぶつける生け贄を探してぶつけたということだ。
加害者はいつ被害者になるかも知れず、被害者がいつ加害者になるかもわからない。
生きている限り、先の見えない、永久に続く闇と孤独から逃れられないと絶望した茜と真朱(まじゅ)、そこから解き放とうとした深緋(みあか)と麻緋(あさひ)。
酒井香奈子さんの深緋は、たった一人真朱だけが居ればいいと望み、「私を可哀想な子にしないで」という最後の言葉に自ら呪縛される事を選んだのではないかと思う。
自分の心に、真朱と真朱の記憶を消えないように凍らせて、永遠に刻み込み閉じ込めるために。その為に、「なぜ、殺したのか」と聞かれても、沈黙を貫く。
それは、とても孤独で苦しくて痛いことだ。それでも、なんと謗られ、残酷な言葉の礫を投げつけられても沈黙を貫き、守り続けた深緋の強さは、強さというには余りにも過酷で痛ましい。
松本稽古さんの麻緋は、きっと本当は普通の子でいたかっただけなのだと思う。それなのに、閉ざされた少女の残酷さが苛立ちとなり、生け贄のように捌け口にされ、教室に入れなくなった麻緋の代わりに標的になり、限界まで追い詰められた茜を解き放とうと深緋と同じ事件を起こした麻緋は、それ故に、「なぜ、人を殺してはいけないのか?」という問を続けられる内に、くず折れて行き沈黙を貫けず、自分の中で凍らせた茜と茜の記憶が溶け出し、薄れて行く事に、孤独と痛みを抱えて行く。
普通の子として生きたかった麻緋が痛くて胸が締め付けられた。
生きることに絶望するまで追い詰められた、榎あづささんの真朱と星秀美さんの茜の闇の中の孤独と痛みが伝わってきて、胸が軋む。
時として、少女の世界は残酷だ。否、少女の世界だけでなく、学校、会社、社会、世間という、ある種の閉ざされた世界は、時に人に対して残酷なのかも知れない。
誰もが加害者にも被害者にもなる。
そして、その中には、茜と麻緋、真朱と深緋のように、追い詰められ痛みと孤独の闇の中で、たった一人の親友を救うために、一人が加害者となり一人が被害者となるり、自分達を可哀想な子と何も知らない大人や世間に括られたくないから、沈黙を貫いている事件があったとしたら。
そう考えると、この舞台の描く世界は、他人事ではない。もしかしたら、この舞台は、一歩間違えばもうひとつの自分の人生だったかも知れないのだ。
内容は、社会派のものだけれど、それを残酷で痛いけれど、美しい世界になり得ているのは、出演されている女優さんたちの美しさ、可愛さと、衣装と幻想的な照明の醸し出す世界感なのだと思う。
「社会派お耽美サスペンスファンタジーエンターテイメント」と言われる所以だと実感する。
人によって、好みが分かれる舞台だとは思うけれど、私は好きだ。
自分の中の感情が、蠢く素晴らしい舞台だった。
文:麻美 雪