満足度★★★★
うまい。
研修所は海外戯曲をよくやる。若手が、年齢の高い役も担う。役の勘どころを掴んで役として提示する技術は、以前「親の顔が見たい」で生徒の父兄を演じた20代の研修生に見て感心した所だったが、今回も声の若さは邪魔な部分もあったがきちんと成立させていた。 難関はこの戯曲が「熱い血」の奔流にさらわれる人種たちが織りなす物語であることで、詩的な言葉に変換された内的な激情をしっかりと表現することが課題。これに関してもよく頑張っていた。特に印象に残った俳優もいた。
演出は初めて見る名だったが研修所の演出スタッフ・田中麻衣子氏の手腕も発見だった。伊藤雅子の装置は、恐らく石作りだろう建物の床に6〜8本の柱(角柱)が立っており、これが場面により移動する。建物の中の居室と見えたり、人が出入りする通過点のロビーのような場所を表したり、柱が二本移動するだけで森を表したりする。
演出の手腕を見たのは中盤、婚礼の日、舞台上は花嫁の居室(下手袖奥)とテラス(舞台奥)、人々が集まる広間(上手の見えない奥)を、つなぐ通過点となる空間で、ある不穏な事態への「予感」が的中するまでの運びが、見事だった。(全て戯曲の指定だとしたら、作者の才能だが。)
この悲劇の主人公として、最後に立つのは母である。これはどういう悲劇なのか。今時点では説明できそうにない。
ただ、「決闘」が容認された社会で、夫と息子を殺された母が、息子の婚礼をこの日に迎えるという設定で、嫁になる女がかつてその仇になる家に属する男と接点があり、母がその事に不吉な思いを抱いている、という始まりである。「因縁は続くもの」「不吉な予感は当たるもの」といった摂理を匂わせながら、男が剣をとって非生産的な理由で殺し合いをやる存在であるという、最もシビアな問題(女性にとって)を、匂わせてもいる。だがそれは蛇足であって誰もが知る真実だという前提の上に語られている感もある。それよりもっと野蛮な人間の本質を抉り出そうとしているのか、非道さの中に人間性は如何に保たれ得るのかという問いかけなのか、、やはり言葉にするとしっくり来ない。