満足度★★★★★
老女優の鏡に剥き身をさらす梁山泊
唐十郎・紅テントの中心的女優・李麗仙が何十年振りの『少女仮面』(唐十郎が岸田賞をさらった=アングラが演劇界に認知された=作品)に立った。新宿梁山泊なればこそ、と今は言って差し支えないのだろう。唐十郎にとって「遊び」の範疇を1ミリも出ることのない「現実でのアクション」は、舞台の「物語」と相まって入れ子構造の「物語」を構築していた、という事で言えば、李麗仙が半世紀を経た記念碑的演目の同じ役(春日野)で立つ、という「物語」が曰く言い難い芳香を放つのも自然なことだ。
当然ながら齢を隠せない女優の台詞を吐く口元や、表情、前傾しがちな肢体の癖をさり気なくカバーしようとするしぐさ、体から発する全てに目を離すことができず、最後には魅せられた。一人裸を晒しているに等しい李の、生身の身体が周囲の「作りもの」の強靭さを試すように、鋭く存在している。その身体とは、その場面・その台詞の意味を丸ごと理解しきった身体だ。長年体内に擁していた言霊を呼び起こし、シャボン玉を風に飛ばすように言葉を飛ばしていた。ふわり。ふわり。・・そんな形容をしたくなる得体の知れない魅力があった。
千秋楽。この「物語」の本当の終幕であるカーテンコールで、李の素の表情を見る。観客や他の俳優への気遣いには気品というより高貴さがあり、彼女にとって演劇とは何であったのか、などという高尚な問いを遠い目で思わず問う気にさせる、味わい深いエンディングに酔った。
まるで無礼を詫びるように恭しく礼をする李に「また舞台で立ち姿を!」と甲高い金守珍の声が飛ぶ。彼女は顔で笑っていなした。二度目が通用しない事など誰よりも自分が知っていると、言外に言っているのが聞こえる、豊かで的確な表現力に、さらに魅入ってしまうのであった。
作品のほうは、唐十郎の詩情が全編に溢れる戯曲。少女・貝を豹変自在に演じた文学座からの助っ人・松山愛佳、人形遣(腹話術)を見事にこなした若手・申大樹、奇怪な笑顔の貼り付いた顔でタップを踊るボーイ(の一人)広島光も印象に残った。
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