十一ぴきのネコ 公演情報 こまつ座「十一ぴきのネコ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    熱演。
    これだけの俳優の力量をもって、エンタテインメント成立。土曜昼という事もあって子供多数。笑いも沢山飛んでいた。休憩挟んで2時間半強、子供はだれていなかった。私は子供の観賞眼を信頼しているが、今回の「十一ぴき」は「対子供」としては、中々健闘していたと思う。「子供に受うける」セリフ、動きというものがあるのだな、と発見。
     さて、しかしこの戯曲にも子供が追っつかない飛躍というか、抽象思考の橋渡しを要する部分がある。大きな魚を探しに行く、というのだが、大きな魚より中くらいの魚を手際よく取れる湖のほうが有り難いんじゃない?と思うし、腹が減って動けないのに、隊を組んで冒険に出かける、しかも何日も。でもって湖に着いたと思ったら敵は大きくて敵わない、だから身体を鍛えるんだと言って訓練をする。腹ぺこでそんなの無理だろうと思う。ここはある種の省略があって、「希望を失わない」「団結」といったテーマのためには、リアリティは犠牲になって良いというケースだ。観客はその部分で、有り難いメッセージのみを受け取るという、心許ない細い吊り橋を渡る。が、そこを乗り越えれば、また楽しい物語世界が展開する、そこがエラい。「共和国」を設立し、その国家の顛末が簡単に説明されるが、終幕に向かう下り坂の涼しい風は心地よい。ハッピーエンドとは言えなくとも。
     ピアノ他の生演奏は荻野清子。音楽も宇野誠一郎の元曲を踏まえ、新曲も入れて全体をアレンジ。十余年前、黒テントで松本大洋書下ろし作品をやった際の荻野氏の音楽は才気溢れ、DJ役+生演奏も堂に入っていたが、それ以来のお目見えに懐かしさが沸騰した(カーテンコールで顔を見せて初めて分かったのだが)。 劇中、現代的なコードで切なさがこみ上げる音楽は彼女の作に違いなく、往年の、といった感じの音楽は宇野氏のものだろう。 詞は初演当時のもので「赤尾敏」「三島由紀夫の自決」が出てきたりする、時代性のギャップはさほど気にならなかったが、私としてはそこは大胆に現代に置き換えて良いと思う部分があった。明らかに「安倍」と置き換えて痛烈に成立する詞もあったが、不穏さを嫌って長塚氏がそれを自粛したのだとすると、ちょっと淋しい。書き換えない事がかえって奇妙な場合が、井上戯曲にはけっこうありそうである。

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    2015/10/12 02:17

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