そぞろの民 公演情報 TRASHMASTERS「そぞろの民」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    時流への抵抗
    現代社会にある政治的諸問題を舞台にぶちまけて、ごった煮にしたような作品。それで幕の内弁当で終わらない腕力が凄い。

    手放しで評価できない部分もあるけれど(詳しくはネタバレに)、
    表現者として「問わなければいけないこと」を問うている姿勢に感服。

    ネタバレBOX

    そもそも観客を想定する表現において「作品は作者から自立できるのか」という前提問題がある。つまり、作品は作者が観客に発する問いかけなのか、それとも作者からは自立した世界の提示なのかという問題。別の言い方をすれば、作品は作者に支配されるものかどうか。

    私個人は、作品は作者から切り離された自立した世界像の提示でありながら、その全体が同時に作者の問いになっている状態が望ましいと思っている。またその問いは決してメッセージであってはいけない。それではツマラナイとも思っている。

    この『そぞろの民』は、その辺りがどっちつかずだという印象。
    だが全否定できない部分もある。具体的に見ていく。

    まず気になったのは、現代の政治の問題点を登場人物に解説的に語らせている点。説明的で劇作術としてはうまいとは言えないけれど、複雑な政治問題を前提状況さえ知らない観客に提示するにはこういう方法をとるしかなかったのかもしれない。それに、良かれ悪しかれ、学者とその息子や関係者たちというインテリたちが中心の物語のため、固い話もギリギリで不自然とまでは言えない形にはなっている。ただ学者の父の教え子が今日のジャーナリズムの状況に無知すぎるのは、劇を語りやすくするためにそいう設定にしたのではないかと思えてならなかった。

    そのようにどうしても作者がこの作品を支配しているという印象はぬぐえない。すると、逆に、作者の認識または描写が甘い点が、妙に目立ってしまう。作者があまり意識されない作品ならば「そういう認識の登場人物なんだ」で済ませられるところが、登場人物の言葉は作者の言葉だと思えてしまうために、「その認識または描写は甘いでしょ」と作者に対して反発をもってしまう。

    具体的に私が気になったのは、韓国や中国の立場の描写。「日本は韓国や中国に賠償金も払い、謝罪も続けているのに、許してもらえない。その理由は教育の問題もあるが、被害を受けた傷がいつまでも癒えないからではないか。」というようなやり取りが長兄と三男の恋人との間でなされるが、それだけで終わってしまう。そもそも日本は両国に「賠償金」という形では賠償をしていない。経済援助や技術援助の形をとった賠償。(勿論、そこには韓国側も中国側も経済的メリットを優先した背景があり、日本側も謝罪という形をとらずに問題を解消したかったことや日本企業のメリットも考慮した結果、両者の思惑が釣りあっての合意ということだが。)謝罪についても表面的なものが多く、村山談話など心からの謝罪もあったものの、少なくとも現政権などは謝罪の気持ちはない。そのような背景を「賠償金も払って、謝っているのに、、、」でまとめられてしまうと、どうも居心地が悪い。これが自立した作品世界で展開しているのならば、日本人一般はそう思っている人が事実多いのだから、そういう認識の登場人物なのねで済まされるのだが。

    もう一点はラストのオチ。これは否定的に私が語ってきた部分が突き抜けて良い効果になっていた、と私には思えた。

    自分の意見を他人にぶつけながら、ある部分では暴力的であり、もう一方ではうまく世渡りをしている長兄(武器を売る企業に勤める)。自分の意見を曲げずに会社を辞めた(自分が開発したレーザーが武器に転用されることに反対して)三男。次男は、新聞社に勤めながらも協調性を一番の是として生きている。
    三人の父は、沖縄出身の学者。老年で施設に入っていたが、そこを抜け出して家に帰り自殺した。その自殺の原因を探るため、三兄弟はそれぞれへのそれまでの不満も含めて気持ちをぶつけ合う。最終的には、父がノートに書いた紙きれが出てきて(施設の人がこんなことを書くべきではないと、父から破り取ったもの)、最大の理由かと思われるものが示される。実際にそれが父の自殺の原因かは断定できないが、それを読んだ次男は絶望する。もっとも父に尽してきたと自身でも思い、周りからもそう思われていた次男が頻繁に見舞いにくることが、何より父には負担だったというのだ。次男の良さだと本人も周りも思っていた協調性をこそ、父は快く思っていなかった。ここには父の学者としての思想が重ねられている。協調性をこそ是とし、常に日和見的であろうとする日本人の在り方への批判が。

    同時にこれは作者の日本への批評でもある。更に、父の本音を知り、今まで信じていた価値観が崩壊した次男の姿を、戦争を信じて突き進みながらすべての価値観がひっくり返ってしまった敗戦時の日本国民の状況とも重ねている。

    ここまでならば、作品を使って作者が暗にメッセージを発しているということで終わる。

    作品では、更に、この次男は父と同じ場所でその夜自殺する。もはや作品を使って暗にメッセージを発しているというレベルではない。もっと露骨な作者の叫び。このまま行ったらみずから自分を殺すことになるぞというような。

    不思議なのは、メッセージを超えて作者の悲痛な叫びのようになったラストシーンこそが、もっともメッセージ的ではない演劇性をも有していたということ。この点はうまく説明できない。役者の力が大きいのだと思う。

    オールラストの次男の妻と長男の眼がとても印象に残っている。

    役者さんは皆よかったが、特に長男役の髙橋洋介さんの威厳たっぷりの演技がよかった。

    蛇足1:物語内で自殺して死んだはずの次男:星野卓誠さんが、カーテンコールで出てきて挨拶している姿はとても不思議な感じがした。

    蛇足2:沖縄という問題が重ねられているのも良かったが、その中で、学者の父の教え子が沖縄問題を語った後に、叔父が「沖縄のことを本土の人間に語ってほしくなかった」ということを問う部分がとても印象に残っている。それは、一方で琉球人が虐げられ続けてきた時間の重みを感じられる反面、そこに生じてしまう排他性も同時に感じられたからだ。この言葉の意味の両義性がとても凄いと思った。

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    2015/09/14 13:46

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