満足度★★★★
暗黒舞踏の残したものと
1993年、土方 巽記念アスベスト館で舞踏を開始した点滅。96年には赤色彗星館を結成して作・演出・出演をこなした後10年で封印。以降ソロ活動中心の彼は、人の永遠の問い“我々はどこからきたのか、我々は何者か、我々はどこへゆくのか”をテーマに踊る。暗黒舞踏派の流れを汲んだ踊り手らしく、その舞踏は死を内包し身体の内側にエネルギーを充溢させる手法で、能の演者にも通じる方法だろう。当然のことながら、存在と無に関る哲学をも内包する。体を白塗りにし、頭髪を落としているのも死に纏わる発想からであろう。生は死を考えることなしに顕現しない。
この点滅の舞踏が、他の総ての演者の重しとなってプログラムが展開するのは当然である。それ故、彼の作品は、5つあるプログラムの3番目で演じられているのだ。扇の要である。他のプログラムは、様々な生の断章を描いているが総て生である。従って移ろう。その移ろいの儚さの中で其々が如何様であるかが描かれているが、未だ点滅の持つ普遍性に近い所迄は及んでいないと観た。プログラム全体としては、点滅を要としたコンポーネントを為しているので纏まりはついた。また、グループ演舞の際、一人だけ、身体を殺す使い方のできる女性を傀儡、乃至死者の蘇りとして踊らせているが、彼女も暗黒舞踏の素養がありそうだ。
蓋し、身体は、余程、哲学的に突き詰めて用いないと観客にインパクトを与えるような表現に迄高めることは難しい。演者には、そのように知的な訓練も望みたい。