段田漱石、小泉妖女に遭遇す、の巻。
一昨年末「グッドバイ」に続く、日本文学舞台化シリーズ(北村想作/寺十吾演出)。松井るみの美術が壮観。紙に鉛筆で描いたイラストを巨大に拡げたような書き割りは、前回を踏襲。前回は路地で、今回は山中である。原作の冒頭から始まる「智に働けば角が立つ。情に棹させば‥」のくだりを呟きながら登っているらしい山道が、語り手のどこか飄々とした様子に合致する。こんもりと大きな山が左右にそびえ、この間に尾根道が渡され、背後には遠くの山の書き割り。舞台手前には三間四方ほどの板床があって色々な場面に変わる。
語りに語る段田。浅野が役の七変化の芸を見せ、小泉は妖艶な姿をさらす。ストーリーの全ては、漱石がこの女性と遭遇するという事で語り尽くせるが、それがその女に似たある女性との出会いの過去が重ね合わせられ、置き忘れた宿題に取り組むように思索を始める。恐らくはたぎるような「異性への情」との折合いを、沈着な思索の言葉に落とし込む作業によって付けるために。
段田が脚本の趣旨を理解した的確な動きをみせ、一方小泉は慣れない舞台でどうにかこうにか奮闘、という感じであった。一度台詞を噛み、一度つまずいた所を段田に突っ込まれていた。寺十演出は笑える場面を細かく仕込んでいたが正直、女優のほうは付いて行けてない。近年の舞台は虚構を立ち上げる正統な演技と「素になる」演技(笑いを取るのに多用される)の自在な行き来を要求され、ヘタするとこれに頼って弛緩した舞台になりがちだが、ぎゅっと締めてこれをやるのは実は高度な技。メタシアターの構造は、演劇への現代の捉え方そのものでもあって、そうした小ギャグは、「お芝居に過ぎない」という作り手のわきまえを効果的に示す事で観客の共感を手にする、必須アイテムでもあったりする。
いずれにしても、この不思議な舞台への、貢献度は置くとして、存在じたいに威力のあるこの女優には、舞台に馴染み、舞台を回すことの快感を知る舞台女優にぜひなってほしい。‥帰り道を歩きながら、そんな事を考えた。