天麩羅男と茶舞屋女/FRIENDSHIP【ご来場ありがとうございました】 公演情報 青春事情「天麩羅男と茶舞屋女/FRIENDSHIP【ご来場ありがとうございました】」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    Hikawamaru
    全くタイプの異なる作品の2作上演だが、扇の要になっているのが、氷川丸である。デートに利用した方々も多いに違いない山下公園に係留されている船だ。横浜デートコースの定番でもある。

    ネタバレBOX

     
     さて、最初に上演されるのは、5.15事件を引き起こした皇道派青年将校参謀格であった古賀 清志と横浜の茶舞屋で働いていて清志に救われたマリが、日本の社会変革を夢見て、その方途として日米開戦を画策。具体的には訪日を終えてシアトルへ帰る世界的喜劇俳優チャップリン暗殺計画を氷川丸上で為そうとした物語である。
     これは、実際に計画されたことである。偶々、チャップリンの秘書になっていた高野が、チャップリンから絶大な信用を得ていた為、チャップリンの偉大を充分理解していた高野の機転とチャップリン自身のアーティストとしての優れた特性、また、偶然としか言いようの無い運命のきまぐれからチャップリンは、命を長らえたのである。
     皇道派将校の殆どは貧農出身である。彼らの姉、妹らは、飢饉の起きる度、女衒に連れられ苦界に身を沈めていった。食う物もなく、家の壁を剥いで喰い、土を食んで飢えを凌いだ。だから、堕落しきった上層部、支配層に抗議する時、激昂の余り鼻血を流す者等も居たという資料が残っている。5.15、2.26を経て日本は、太平洋戦争へ突き進んだ。その選択は、後代の我々から見てあからさまな間違いであるにせよ、決して豊かだとは言えなかった大日本帝国で、天皇、皇族、一部の華族、資本家、政治屋、官僚が富と社会的地位を独占し、家事手伝いに雇った女には手をつけ、子を孕めば暇を出すような好き勝手を許せるハズは無い。道理を言えば、特高に引っ張られ、拷問虐殺は日常茶飯であった。
     但し、作中でも言及されているように、古賀はアメリカと開戦したら、勝つ気で居た。即ち、アメリカの実体を知らず、当時のアメリカ経済の規模と大日本帝国のそれとをデータを駆使して調べるということも行っていなかったことは確かである。即ち、皇道派は、その決意の中核に天皇親政を夢見ていたのであり、具体的に国家を運営・管理する為のノウハウを持っていた訳では無かった、ということである。結果的に、後に統制派に敗れることになったのは必然と言わねばなるまい。だからと言って、大日本帝国の統制派が齎した政治が、決して良いもので無かったことは歴史の示す通りである。その意味では統制派と雖も所詮井の中の蛙。村社会日本の本質を脱しては居なかったということである。
    ところで戦中、現在の秘密保護法に該当したのが、治安維持法であり、当然、現在と同じ共謀罪も適用された。だが、当時の治安維持法は、現在の秘密保護法より、ゆるいと考えられる。批判してはいけない対象が限られていたから、それ以外は罰される恐れが殆ど無かったと考えられるからである。現在の秘密保護法は、GSOMIA+αであり、何が罰されるのか原理的に明らかにならない。嘘だと思ったら、自分で詳しく調べてみるが良い。とんでもない法の実体が分かるから。
    因みに茶舞屋とは、主に外国人船員相手の遊び場、1860年代から1930年代間迄横浜など国際港に設けられていた。無論、セックスの相手にもなるが、ダンスを一緒に踊るなど社交的体裁も整えていた。
    さて、今作の話に戻ろう。マリは、チャップリンの宿泊している1等船室の隣の、矢張り1等船室に部屋を取った。彼女は厨房の下働きをしている若者と仲良くなり、チャップリンの食事に古賀から預かった毒を盛る。然し、さしものチャップリンも毎日届けられる海老の天麩羅に飽き、手をつけなかったことで助かる。偶々、下働きの若者が傷ついたカモメの雛を育てていたのだが、この雛が天麩羅を食べて死んだことから毒殺計画が発覚、マリは、高野の尋問に答えなかった為、水責め、兵糧攻めに遭うが口を割らない。結局、高熱を出して倒れてしまった。高野もこれにはケアが必要と判断、ドクターに診察させ、食事も与えた。愈々、明日、シアトルに着くという前日、チャップリンが「マリに遭いたい」との伝言を高野に伝えられたマリが船室に残っていると、高野の配慮で船室に訪れこそしなかったものの、チャップリンが自分の考えを隣室から述べた。この文言に胸を打たれたマリは、チャップリン暗殺を諦め、1人分の毒薬を仕込んだペンダントを胸に最後の晩餐に出掛ける。
    ところで、現在、猛威を揮う安倍内閣のスタッフの愚かさもまた、皇道派と同じ過ちを犯しているように見える。日本の右翼というのは、全体何かか・誰かを神聖視し、神格化して決して疑おうとしないことにあるように思う。疑義を呈したりすれば、不敬だの失礼だので排除され、決して批判的検証が内部の者によって行われることが無い為、過ちがあってもそれを改める機会を失してしまうのだ。その結果、とんでもない失敗が外部の力によって明らかにされない限り、自らの失敗を自らの力と知恵で止めることができない。これが、安倍のまた安倍政権のそして日本「エリート」の愚かさの正体である。
    2作目は、まるでタイプの異なる作品である。2作の扇の要は氷川丸のみ。今作で氷川丸は、遊星アルカディアと横浜を結ぶスペースシップとして登場する。
    かつて地球留学をし、妻子持ちの男と恋に落ちた女、ケイが星間恋愛の破綻の結果自殺を図るが、しっかり者のクルー、サチコに救われる。尤も、この自殺志願者を最初に発見したのは、幸子の後輩クルー、コーエンであった。然し、腰を抜かしてしまいものの役に立たなかったのである。今回ばかりではない。彼は、客にスープを掛ける。先月は客の大事にしていた時計を壊す等々、ドジのデパート、間抜けの笊といったキャラクターなのであるが、どういう訳か他人が放っておかない好かれキャラでもある。サチコは無論のこと、サチコほど仕事はできないが、シシドも先輩として常にコーエンを気に掛けてくれる。コーエンという役名も深読みすれば後援と公演を掛けているのかも知れない。
    何れにせよ、彼の数々の失敗にも拘わらず、彼が一所懸命に客にサービスし、寿退社するサチコに心配掛けまいと頑張る姿も、シシドがアナンというコーエンがスープを掛けてしまった客が良い人なのを良いことに、一芝居打って、サチコの前で男を上げさせてやろうとするのも、アナンは偽名で、実は、サチコに会いたい一心でシップに乗り込んだ婚約者であることも、船長がロボットでグーしか出せないという基本情報を漏らしながら、オカマを示す仕草ではパーの形に掌を開くことなども、最後のしっぺ返しへの助走と取れ・・・にゃいよ!! 
    まあ、これらの仕組みはばれてしまうのだが、サチコがしみじみ、コーエンのひたぶる失敗にも拘わらず、彼の顧客から下船迄にクレームのついたことは一度もないことを告げ、横浜に到着してからの穴場情報を、客の好みに合わせて地図付きで提供したり、無論、移動の際の時刻表や手段等々細かい所までケアした手描きの資料集を作成して手渡したりと優しい面を強調して自分一人で独り立ちしてやってゆけると餞の言葉を贈ると同時に、今回、コーエンの男を立てる為に打った芝居が、宇宙シップジャックを想起させ、テロか? との大騒動を引き起こしたことで減給処分を受けたシシドの株を下げるというギャグの最後っ屁もつく。
    1作目をシリアス作品に、2作目をコメディーにした上演形式は、観客をスムースに日常へ戻す為の配慮と見て良かろう。

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    2015/07/19 16:20

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