期待度♪♪♪♪♪
東北が人材交流センター化した年だった
西日本の村人A「3.11は戦後最大という約2万人の犠牲者がでた災害でした」
西日本の村人B「あの日以降、全国からボランティアで 若い人々が
駆け付けましたよね。何もかも壊れ、物資が滞る震災後。自家用車で一番速く やって来た そのバイタリティーは超がつくね」
西日本の村人A「陸前高田には 現地の住民と復興に励むうち、
住み着いてしまった20代の男性もいる そうです、内定蹴って。
彼、NPO法人を立ち上げたみたいですよ」
西日本の村人B「まあ、そいつは少数派ですよ。95%は東北に おさらば
しちゃったはずだけどね。それは置いといて、
もちろん、地震と津波が街に甚大な
被害を与えたのは 間違いないけど、あの年は 東北沿岸部全体が
人材交流センターに なっていたよな」
西日本の村人A「ああ、そういう捉え方も
できますよね」
西日本の村人B「今、『福幸コメディ』と称し、
『震災モノ』を上演する意図というか、世の中や被災者との
関係性をさ、俺は マジで見極めたいと思う。
西日本の村人A「うん。津波で流された建物は もう舞台には
出現しないだろうけど、そこは見極めたいですね」
西日本の村人B「舞台にでてくる
ラーメン屋の屋号も やっばり『福幸軒 』か…」
西日本の村人A「そこは見極める必要ねえよ!」
2015/07/24 09:53
西日本の村人B「今、『福幸コメディ』と称し、
『震災モノ』を上演する意図というか、世の中や被災者との
関係性をさ、俺は マジで見極めたいと思う。」
しょーふぇす制作「福幸コメディをやる意図、それは、風化させないため。忘れないために私たちができることは、継続することだと思っているからです。是非とも劇場へ、見極めにいらしてください!」