満足度★★★★
梁山泊テントの中興の今
鄭義信作品と唐十郎作品の両輪で、テント主体で活動していた梁山泊が、劇場公演そして芝居砦へ拠点をシフト、その後韓国との交流や金守珍の映画製作もあったりする中、勢いのあるテント公演も維持、劇場公演では劇団1980との共同、そしてあの趙博の参入‥と様々な場面があった。そうした新宿梁山泊の幾つかのエポックの、また一つを数えたのが昨年のテントへの大鶴義丹の登場だ。これには過分に懐古趣味も入っている。先日逝去された扇田昭彦氏の著作に、私は当てられた一人。見てもいない60〜70年代のアングラ演劇を観た気になり、憧憬した。唐十郎作品を「飲み込む」のに歳月を要した自分だが「本家」の唐組に昨年初めて足を向けた。横国教授時代の氏の姿を一度目にした時とは変わり果て、杖をついて歩く姿に、涙した。その2ヶ月前梁山泊『ジャガーの眼』にて、大鶴は主役として舞台を走っていた。うまい(舞台)役者ではないと予想していたが、予想に違わず。にもかかわらず(親の七光でなく)遺伝子というものは何か不思議な働きをするものか、大鶴義丹というコナレない体に父の魂が乗り移りまるで操られ、そして本人は必死に付いて行こうともがく姿が見えた。理屈抜きとはこの事で、そう見えてしまう自分に客観的な評価は無理である。 ただ、そこには「受け継いでほしい」と思わせるものがある、という事は言えるだろう。何をか。‥唐十郎の戯曲にある、底辺からの声、祈りのようなもの?人間の根本に温かく寄り添い、永遠の正義としてあろうとする精神、とでも言おうか。(格好よすぎか..)
そして今年。大鶴義丹はそこに居た。韓国公演に向けて作った40年以上前の作品の再演という事で、話の通りがシンプルである分、「飛躍しまくり度」は影を潜めた感じがした。それと、玄界灘を渡って‥‥朝鮮から日本へ、日本から朝鮮へ‥‥数多の涙を飲み込んだ歴史の海に、思いを馳せるところへ観客を導くのには、結構高いハードルがあったと思う。だがもう一点、「理屈抜き」の快楽がテント公演にはつきもの、今回も幻惑されたがこれは実際にその場で体感するしか。
テント芝居を本気で作り込み公演を打つ事は、無駄を憚る世情ではきっと疎まれて来るに違いない。梁山泊のテントが未だ健在である時代を、来年もまたその先も噛みしめたいものだ。