J=P・サルトル「出口なし」フェスティバル 公演情報 die pratze「J=P・サルトル「出口なし」フェスティバル」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    サルトル十人十色
    10団体、5組が2〜3ステージ行なう企画。既知の団体は一つ。名前のみ知る2団体(楽園王、IDIOT SAVANT)。後は全く知らないが、今年が第5回というので、一定の成果を示してきた証だろうと、観に行く事にした。全部は観れてないが3回足を運んで、d倉庫は毎回満席。毎回同じ客層ではなく、それぞれの団体目当ての客の割合が高いようだ。『出口なし』とは地獄で出会った三人が過去を抱えながら現在(三人の関係性)に苦悩する話のようだが、パンフに書かれた簡単な筋書きを頼りに、各団体の解釈による1時間のステージを観賞する。興味深い企画だ。1時間という制約は戯曲をそのままやらせず、作り手独自の切り口を要求する。6団体(一部しか見れなかったものもあるが)見て来て漸く『出口なし』という戯曲の世界が見えて来た、という感覚がある。各パフォーマンスは、舞踊ないし身体パフォーマンス系と、演劇系が半々で一組に両方が入るように組み合わされているようだ。課題そのものが難しいのだろうとは思うが、不足感の残る出し物にはなる。完成度を求めず、それぞれの持ち味を楽しむ、それには一つ観るのでは足らないだろう。一つの完成度の高いものも中にはある。いずれ、戯曲を踏まえようとすればするほどパフォーマンスとして判りにくくなり、戯曲からの飛躍が過ぎると元が判らなくなる、という矛盾の中での葛藤の代物を目にしていると思えば、嗜虐的な愉しみもなくはない。
    1st.楽園王とIDIOT SAVANT。前者は、戯曲を知らない私には「話の構造」を判りやすく大掴みに伝える意図が感じられ、好感が持てた。後者は抽象的、というより断片的にしか戯曲との接点が見えず、踊りは美しい動きであるより「そこにある秩序を壊す」的な動きを多用し、構成も含めて意味がよく見えない。サルトルとボーヴォワールが登場した最初の場面は期待させたがサルトル(役の人)が前面に出過ぎ、作品でなくサルトルでまとめてお茶を濁した感が強し。
    2nd.石本華子+Rosa..とaji。前者はだいぶ遅れて観賞、後者は好感触だったが内容を大分忘れて思い出せない(アフタートークの印象しか..)。ただ石本の踊りは端麗でうまく、本人から客席への語りや映像中にある「質問」がテキストに発するもので『出口なし』からの飛躍度は高いが一まとまりのメッセージを込めた出し物として成立してた感じはあった。
    3rd.shelfと初期型。後者は同企画の常連らしく、「毎回こんな感じ」と本人談。前者は開演前から独自の衣裳を着込んだ4人(登場人物は3人+ボーイで4人)が横一列に立ち、若干白塗り。開始後、初演年、訳者名、ト書きから読み始め、客との対面の導入が良いと感じたが、以後はリーディングが続く。大幅カットしたはずの戯曲をずっと読み進めるので、多分演技上、発語上の判らなさが生じていた(眠気の理由はそれだと言うのは不当か?)。削ぎ落とす演出、と本人談。だが何らかの技巧的演出による「説明」は必要だったのでは。後者は地獄の三人の役+二人(ボーイ役か舞台回し的な役を担う)が、次々と場面を作って行く。質問コーナーで互いの事を聞いたり(「死因」「どうして地獄に来たのか」等と書かれた紙が出る)、一人一人のそれぞれへの思いをゼスチュアで表現したり、歌ったり(イネス役)、踊ったり(ガルサン役、エステル役)、二人が抱えた鉄棒で逆上がりや前転をやったりと目まぐるしい。しかしそれらは現代からサルトル、また三人の人物を覗き見ようとする観客の欲求に応える形になっていてこれも好感が持てた。
    残る4団体も楽しみだが、全て見れるかどうか・・

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    2015/05/05 09:37

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