満足度★★★★★
「リチャードⅢ世」
もう、本当に素晴らしい最高の舞台でした。
出演された役者さん全員の声がいい!舞台に出ている役者さん全員の声が良いって、なかなかないこと。
一人一人の色はあるのに、よく通り、言葉の一つ一つがくっきり、はっきりと届き口跡が良くて、聴いていてとても気持ちよく、リチャードⅢ世の世界へとすっとはいって行ける。それが、まず素晴らしい。
お一方ずつの感想を書きたいのですが、紙面から溢れそうなので、特に印象深かった方について書かせて頂きます。
セットはなく、真ん中に「愛と哀しみのボレロ」のジョルジュ・ドンが踊った円卓が正方形の木の大きなテーブルのようなった舞台と、両側に置かれた長椅子があるのみ。
長椅子には、リチャードⅢ世によって殺され、リチャードの罪を弾劾し述べ立てる者たちが座り、リチャードとの回想シーンが舞台の上で展開されるという、声と台詞と身体表現で全てを描き出すという、シンプルな故に難しい舞台。
舞台が始まる物語前から、その舞台の下で蠢く、黒いマントに気づく。始まる前から、リチャードⅢ世の世界は作られていて、それをずっと目が離せずに観ていた。
その蠢いていた黒いマントの人物は、 濱野和貴さんのリチャードⅢ世だったのか、中川朝子さんのリチャードⅢ世の影かはたまた実は本物のリチャードⅢ世?のマントの男だったのか。
短躯で美しくない自分の容貌への激しいコンプレックスから、自分は愛されないという絶望的な自己否定と諦めそこから産みだされた歪んだ孤独が、リチャードⅢ世を稀代の悪役たらしめたのではないか、そんなリチャードⅢ世を濱野和貴さんは、何もない空間に、声と台詞と身体表現だけでまざまざと描き出していて、素晴らしかった。
シェイクスピアを読むと解るが、シェイクスピアの登場人物はよく喋る。水の流れるように淀みなく、しかも歌うように独特のリズムと抑揚がある。
よく、「歌は演じるように台詞は歌うように」というが、シェイクスピアの台詞は正にその歌うように喋るのである。
滔々と流れる如く歌うように暗闇に綴られて行く、濱野和貴さんの台詞はリチャードⅢ世その人の言葉となって、響き聴いていてとても心地好いと同時に、稀代の悪役リチャードⅢ世の仮面の底深くに押し込められた、誰からも愛されなかった絶望と孤独と痛みを感じさせた。
誰からも愛されないのなら、徹底的な悪役になってやるそんな、リチャードⅢ世の救いようのない孤独と絶望を感じ、リチャードⅢ世もまた、歴史の犠牲者のように思えてならない。この、リチャードⅢ世を観て、リチャードⅢ世に対する見方が少し変わった。
中川朝子さんのマントの男は、リチャードⅢ世の心の声なのか、影なのか、それとも実は、本当のリチャードⅢ世なのか、目立たないという、 確かな存在感を持って存在していた。
登場人物の中で、唯一呟くようなあるかなきかの声で話すマントの男。普通、それだけ声を抑えると言葉はほぼ聞き取れなくなるのだが、それが言葉の一つ一つがはっきりと聞き取れ、マントの男の色として響いてくるのが素晴らしかった。
リチャードⅢ世の母、ヨーク公夫人の朝霞ルイさんの指先と手の動き、表現が美しく、自分が残虐非道なリチャードⅢ世を生んだことに対する悔いと戦きまでも、現していて見惚れてしまった。
そして最後に木村美佐さんのヘンリー6世の妃、前王妃のマーガレットは、夫ヘンリー6世と我が子をリチャードⅢ世に殺された火のような怨みと烈しさ、夫と我が子を殺された苦しみと、果てることのない悲しみ、それ故に日増しに募るリチャードⅢ世への憎悪を、マーガレットその者として存在していて素晴らしかった。
出演されている役者さん全てが、その人物その者として存在し、自分が物陰に潜んでその場に居合わせているような感覚に陥った。
「黒き憑人」も「リチャードⅢ世」も、図らずも、「命」ということについて、深く考えさせられた舞台だった。
シェイクスピアの悲劇であるものの、シリアス過ぎることもなく、時に笑いも漏れ、面白く惹き付けられて観ている内に過ぎて行った二時間数十分。
濃く深く最高に面白くて、素晴らしい舞台でした。
文:麻美 雪