これから~2015version~ 公演情報 アンティークス「これから~2015version~」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度

    伏線の回収が・・
    阿佐ヶ谷アートスペースプロット 100分。

    人が生き方を変えられる時、それは自分の過去と他者からの想いを知ったときなのかもしれない。
    アンティークスの作品は常に希望が描かれる。そしてそれと共に筆者が感じるアンティークスの特徴は「ファンタジーと現実との境界」である。
    それを非常にシンプルなセットや音楽で見せることで観客に優しく物語を送り届ける。それがコアな観客層を捉えて離さない要因であると筆者は考える。

    ネタバレBOX

    舞台の中央には円形のベンチのようなものとその円の真ん中に六角形の支柱兼テーブルが据えられており、その上には雑多に物が置かれている。
    とある一室に女の子(以下、しのぶ)が帰ってくるところから物語は始まる。
    まだ若い年齢ながら人生への疲弊を漂わせるその姿、一人部屋を見回す、サボテンに話しかける、ふとした動作の一つ一つが観客を物語へと引き込んでいく。そしてある一本のビデオテープをデッキへ押し込む。しかし点かないビデオテープを尻目にしのぶは横になり目を閉じる。すると次の瞬間に母親とのこれまでの日常が始まるが何かが違う。同時にしのぶは部屋の中でふとした人物に目を留める。そこには全身真っ黒のもじもじ君のような子が佇んでいる。2014年秋に上演された「かなたから」に登場した、あの「ケケケ」である。そしてここで筆者はいくつかの期待感を抱く。「このケケケが一体どのような理由で登場したのか」、「どの筋の伏線となっているのか」といった部分である。
    このケケケの存在によりなぜか過去に飛ばされたしのぶはそこでしのぶを生む前の独身時代の母と出会う。そしてそこでも、なぜ過去に来たのかという理由は明かされず、ケケケの二人と母、そしてしのぶは共同生活を始めるのである。
    共同生活を営むうち、母が付き合っていた男性の子を妊娠するが、母は男性に別れを告げる。
    実は母は眠り病の奇形種であり、あと数年で意識がなくなるというのだ。それを知った瞬間にしのぶの時間はまた飛んでいく。ここで筆者はようやく気付く。「これはしのぶの意識内ではないだろうか」とすれば全く持って理由のわからないケケケの存在や過去に飛ぶ理由も辛うじて説明がつく。そして次の瞬間にはしのぶは過去のみを見続けることとなる。このあたりから物語は難解な方向へ向かっていく。意識内であるのであれば、しのぶ自身の周辺の過去をしのぶがわかるはずがない。しかし過去にタイムスリップしているのであれば今度はケケケの存在や過去を見せられる理由、ケケケ達がそれを見せたい理由の想像がつきにくいのだ。

    母がしのぶへと綴り続けるビデオレター、事情を知らないしのぶが他愛ないことで母を責める姿。それを笑顔で受け止める母。しのぶはこれまでの自分の人生を悔いるように過去を見つめ返していく。

    全てを知った時、しのぶは初めて目を覚ます。そこは病室であり、母のそばである。しのぶが初めて母への感謝を口に出した時、母の意識が・・・というところで物語は終わりを迎える。

    アンティークスの作品はなぜか伏線が回収されないことが多く、また難解な解釈を求められる状況が多いが、これにより混沌とした世界の中で美しく輝くある種の人間の普遍性を感じるのも事実である。
    今回の作品でいえば、ケケケがしのぶの元に登場し、父・妹に成り代わった理由、しのぶが過去に飛ぶ理由、しのぶが一体どうして病室で目を覚ましたのか、といったことは全く語られていない。また、作中にしのぶの親友なる人物との出会いやエピソードが非常に丁寧に描かれるのだが、この親友のエピソードはその後何にも繋がらないのである。

    しかしながら演じる側の俳優達と演出との非常に蜜な信頼関係が感じ取れるのはこういった難解な世界観を表現していく中では非常に大きなことである。アンティークスの、まるで一つずつ謎を解いていくかのような、見る側の想像力を試されるような作品に出会えるということは自身の観劇人生において非常に稀有な時間であり、演劇の多様さや自由さを感じられる貴重な瞬間である。

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    2015/04/10 13:57

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