ジョリス・ラコスト 「話し言葉の百科全書」をめぐって 公演情報 青年団国際演劇交流プロジェクト「ジョリス・ラコスト 「話し言葉の百科全書」をめぐって」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★

    名前が仰々しい割に、やってることは割と普通
    『話し言葉の百科全書』プロジェクトとは、我々にとって身近な言葉を日常から拾い集めて俳優に再現させる試み。
     仰々しいネーミングから物凄いものを期待したが、蓋を開けたら割とよくある試みだった。

     宮沢章夫は3.11の震災直後に街なかで拾った会話を俳優たちに再現させたし、ジョビジョバはTVバラエティー『堂本兄弟』における出演者間のやり取りを“心の声”付きでコピーした。憶測による“吉田拓郎の心の声”がとても面白かったのを覚えている。
     
     フランス人のジョリス・ラコストによるこのプロジェクトでも、街で拾った会話やTVのやり取りはもちろん、いろんな話し言葉が再現の対象にされているが、こういうものは、日本の演劇人が取り組んだほうが良い成果を上げそう。

     個人的に、ラコストさんのは、収集する話し言葉の選択があまり面白くないと感じた。

     トークセッションを聞いた感じだと、ラコストさんは面白い話し言葉を拾うことを第一目標にはしてないようだが、笑いがくるとやっぱり嬉しそう。

     だったら、アート寄りの作りでなく、もっともっとエンタメ寄りにしてはどうなのか?

     そのほうがこのプロジェクトのことをより広く知ってもらえるし、きっと良い気がする。

    ネタバレBOX

     ゲストの前田司郎さんがラコストさんとの対話で言っていた通り、採取された「話し言葉」に日常会話が少ないことには私も違和感を覚えた。
     フランス語で「話し言葉」は口頭言語全般を表す「parole」の一語で表現され、そこには普段のなにげない会話から政治家の演説、スポーツ実況まで、あらゆる音声言語が包含されるらしいのだが、それを「話し言葉」と訳されると、われわれ日本人は喫茶店や電車、家庭の食卓などで交わされるありふれていて他愛ない会話、いわゆる「日常会話」をイメージしてしまい、ラコストさんらが拾ってきた、それよりも広域な「話し言葉」に戸惑いを覚えてしまうのだ。
     でも、ラコストさんが「日常会話」をあまり取り上げないのには、フランス語の「parole」が日本語の「話し言葉」より広い意味を持つこと以外に、何か別の理由もありそう。
     多分、物事をはっきり言うフランス人の「日常会話」は、日本人のそれと違ってワビサビや微妙な陰翳を欠き、あまり面白くないのではないだろうか?

     だから取り上げない、というわけだ。

     お見合いでの会話のようなギクシャクしてハネない会話は消極的な日本人ならではなのかもしれないが、当事者たちが盛り上げようと必死なぶん、その熱意が空回りして弾まないやり取りは傍から見ると間抜けで面白い。

     フランスではこうした会話があまりなされず、ために“会話の間抜けさ”を楽しむ文化が育っておらず、結果としてラコストさんは「日常会話」をあまり取り上げないのではないだろうか?

     以上が私の仮説である。

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    2015/03/31 15:59

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