第三帝国の恐怖と貧困 公演情報 東京演劇アンサンブル「第三帝国の恐怖と貧困」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    東京演劇アンサンブルってこんなレベルだったっけ?
    休憩含み3時間は、長く感じた。
    面白ければ、そんなことは感じないのに。

    ネタバレBOX

    思わせぶりなオープニングとエンディング、それに挟まる14のエピソード。

    冒頭で全員が声を合わせる台詞が聞き取りづらい。
    合唱では、歌詞がちゃんと聞き取れるのに、台詞ではダメとはどういうことなのか。
    それをきちんと考えてみてほしいと思う。

    最初の3編が特に酷い。
    いかにもお芝居してます、というような「演技」と、台詞ではなくト書きを読んでいるような棒読みの印象。台詞が今の言葉でないからか、役者の身体に入っていないと感じた。ある程度はいいと思える役者さんも、低いレベルの役者さんと組み合わされて、悪い結果となっている。


    前半終了したところで、帰ってもいいかなと思ったほど。

    突撃隊と政府の偉い人と繋がっている人との裁判で、「時勢」と「保身」のために、どうしたらよいのか追い詰められる判事が描かれる「法の発見」、息子に密告されるのではないかと怯える夫婦を描く「スパイ」は、脚本は面白いと感じた。

    このままで、この時代の世相を皮肉に笑い飛ばそうとしている、苦い喜劇になり得ると思ったのだ。
    しかし、そうはならなかった。かと言って、悲劇にもなっておらず、非常に中途半端。

    判事が、周囲が冷静なだけに、追い詰められてカバンすら忘れてしまうという様は非常に滑稽であり(「法の発見」)、また息子に密告されるというのも、妻が、「自分はそこまで言ってない」と夫に言わしめるような、政府への批判めいたことを口走ってしまうというのは、まさにコメディであろう(「スパイ」)。妻のその言葉は、妻を含めて、当時誰もが思っていることなのだから。

    そういったことをうまく汲み取って見せてくれないと、このエピソードが活きてこないのではないかと思った。

    また、「ユダヤ生まれの妻」は一人芝居のような前半から、夫が出てくる後半になって、「一人芝居」の「意味」が見えて来るエピソードだ。
    ユダヤ人の妻には、夫は優しく、夫のために出ていこうとする妻を止めようとする。
    ここが「演劇」としての「一人芝居」かと思っていたら、夫が出てくることで、「妻」の「一人芝居」であることがわかる。
    「本当の夫」が登場すると、妻の一人芝居に出てくるような夫ではなく、自分の保身ためにユダヤ人の妻には出て行ってほしいと、心の底では思っている夫であったことがわかる。
    幕切れに「ほんの2、3週間だけのこと」と言いつつ、妻がコートを取ってくれと言うと、夫はそれに手を伸ばしてしまう。妻の一人芝居では、そうではなく、「コートはいらないのでは」と言ってくれる夫だったのに。

    短いながらも、夫の本心が炙り出されてしまった苦いエピソードになるはずのものが、残念ながらこの作品では心に迫ってこない。
    妻の演技が、意外と一本調子で(特に電話のあたりでは)引き込まれるような演技でないことにも問題があるが(後半はとてもよかったが)、それよりも、演出が功を奏していない。

    妻の一人芝居は、観客にじっくりと見せるべきではなかったのか。
    それを、舞台の上を台車に乗せてゆっくり移動させながら、妻の一人芝居を見せてしまうのだ。
    例えば、スポットライトを当てて舞台の中央に妻のデスクを配し、観客の意識を集中させるべきであろうこのシーンを、わざわざ移動させてしまうことで、観客の集中は削がれてしまう。ざわざわ、わさわさしてしまうのだ。

    これは「裏切り」のエピソードでも同じ。非常に短いエピソードなのだから、夫婦の密やかな会話を集中させて見せ、スパッと幕切れさせたほうがよかったのではないだろうか。
    それを移動する台車に乗せて見せるので、歯切れも悪い。
    照明付きの台車がゴトゴトと動くし、それを引っ張る役者さんも見えているのだから。

    役者の演技に対して信頼がないのか、それとも「変わった演出」を見せたいのかどうかはわからないが、私には納得のいくものではなかった。

    もちろん悪いものばかりではない。
    「職業斡旋」は、夫婦を演じた2人の役者がとてもいい。息が合っているし、台詞のきちんとしている。
    「釈放者」も、短いながら、夫婦の気持ちが伝わってくるようだった。
    そして、生演奏と歌のパートは好きである。

    ラスト、ドアからロビーのほうへ役者が出ていくのだが、ロビーが見えてしまうのはいかがなものか。暗幕を張るとかロビーの照明を消して逆光になるようにライトを点けるとかできたのではないだろうか。奥の座席からは見えないにしても。そういう細かいところへの気配りも大切ではないだろうか。

    14のエピソードは、ゾッとするものや、あとからじんわりと恐くになるもの、心に底に残るもの、ビターな味わいの喜劇調のもの、と、一方向からの描き方ではなく、戯曲の段階でバラエティに富んでいる。さすがにブレヒトの戯曲は面白いと思った
    だから、変に演出せずに、それぞれのエピソードに沿った演出で十分だったと思う。
    また、役者も、演じさせればわかるのだから、「このレベルでは……」という役者は排したほうかがよかったのではないかと思う。劇団内の序列や人間関係は観客には関係のないのだから。

    もっとレベルの揃った役者で、「何をどう見せるのか」をはっきりとさせた、きちんとした演出で、この作品をあらためて見てみたい。

    正直、東京演劇アンサンブルを初めて観たのがこの作品だったら、たぶん次はない。
    武蔵関は遠すぎるし、あんな席で、休憩入れて3時間というのは、観客のことをあまり考えてないと思うし。

    細かいことだが、当日配られた年表中、ニュルンベルク法の記述には、主語、つまり「ユダヤ人は」がないのでわかりづらいのでは。単に「ユダヤ人の公民権を剥奪した」でよかったのではないかとも思った。

    本筋とは関係ないが、日本人はドイツの軍服が似合わないなと、つくづく思った。

    0

    2015/03/18 07:57

    0

    0

このページのQRコードです。

拡大