蒲団と達磨 公演情報 サンプル「蒲団と達磨」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    居心地の悪さが、ぶすぶすっと、燻るように劇場に充満する
    例えば、聞きたくもない他人の込み入った話を聞かされているような、そんな感じ。

    岩松了さんとサンプルの組み合わせは、あまりにも良すぎて、気持ち悪い、が増幅された。

    ネタバレBOX

    岩松了さんの初期の戯曲をサンプルが上演するという。

    で、戯曲の完成度には驚いた。
    一見、なんのことはない台詞だけなのに、見える景色が違うのだ。
    たぶん、演出として、特別に台詞などに手を加えてないだろうと思うのだが、言ってしまえば、なかなか気持ちの悪い作品である。

    松井周さんが、岩松戯曲の気持ち悪さをうまく取り出したのかもしれないが、その根底に流れている気持ちの悪さ、居心地の悪さは、戯曲本来の持ち味だろう。
    さすが、岸田國士戯曲賞を取った作品だと思った。

    主人公の夫は生物の先生。
    娘の結婚式後の深夜から早朝までの話。

    主人公の若い後添えが、家を出てアパート暮らしをしたいと言い出したらしい。
    それを止めようとしているところではあるのだが、どうも積極的に止めているふうでもない。
    「行かないでくれ」と懇願するわけでもなく、歯にモノが挟まったような、遠回しな感じなのである。

    どうやら、いわゆる「夫婦生活」にナニかがあるらしいのだ。

    そのもぞもぞした感じが充満する、夫婦の寝室に、結婚式に出た夫の妹や、妻の弟夫婦、夫の友人たち、さらにこの家に住み込んでいるらしいお手伝いさんが出入りする。

    夫はタイトルにあるように、布団の上に達磨のように座り込んでいる。
    夫婦間の話に、他人が入り込む形になってしまうのだが、夫はなぜだかそれを厭わず、彼らに酒を飲もうとまで言い出す。

    今読んでいた新聞を「これは夕刊じゃないな」と言い出して、妻との会話につなげようとする、下手くそな会話能力が、この夫の姿なのだろう。
    上手く言えないし、コミュニケーションが下手すぎる。

    妻のほうも、「路地の先にアパートが」「朝になると路地を人が通って」みたいな話しぶりなのだ。

    全編、夫が、一体何言いたいのかが、判然とせず、それを聞かされるほうは、困惑しつつも、適当に相づちを打つばかり。

    そういう、きちんと相手の話を聞いていない会話、「いいお天気ですね」的な、内容のほぼない会話が舞台の上にあり、それが実に気持ちが悪い。普段我々がしている会話の大部分が、たぶんソレなのだが……。

    冒頭の夫婦の会話は、ぼそぼそしていて、空間が広くて、その広い空間に、独特の居心地悪さが広がっていく。サンプルらしい空気感だ。

    夫を古舘寛治さんが演じる。その時点ですでに怪しいし、気持ちの悪さが漂ってしまう。

    夫が達磨のように座り込む布団の下には、夫の性癖の一端が隠されていた。
    なるほど、これが後添えとの溝を生んでしまったのかと思わせる。しっかりと見せることはないのだが、色合いとか、そんな感じで観客は察してしまう。「ははぁ〜ん」って。
    また、いきなりポラロイドで後添えを撮るあたりにも、それがうかがえるのだ。

    ひっとしたら、他人を自分たちの寝室に留めおこうとすることすら、それなのかもしれなかったりして。妻の前の夫を同席させるなんて、まさにそうかもしれない。

    夫は自分のそうした性癖を性急に妻に迫ってしまったのではないか。
    持ち前の口下手さ、コミュニケーション能力の低さで。

    妻は「勉強がしたい」ということを家を出る口実にしている。
    夫婦間のことなので、当然「何が原因か」は2人の間では判明しているのだろうが、夫の性癖の押し付けも、言葉少なで、というか、何も言わずに迫ったのだろうから、そのことは「なかった」ことのように、2人の間では扱われているようだ。

    当然わかっているのに、建前でのやり取りになっている。
    「何の勉強をするんだ」「フランス語とか」というような。
    しかし、時折、「回数なのか!」的な発言(確かそんなこと)が爆発するあたりが、やっぱり気持ち悪い(笑)。

    古舘寛治さんだからこその、この夫である感じがなかなかたまらないのだ。
    キャスティングですでに成功が決まっていたと思ってもいいぐらいだ。

    妻の弟夫婦は、頭が明らかにおかしい。2人の間だけのつながりがあり、そこから外との関係が歪なのだ(夫婦間も歪ではあるが)。
    しかし、彼らだけでなく、全体的に、とても不穏な空気が流れている。

    弟夫婦の、弟が言っていることはどこまで本当なのか、妻もウソをついていることが観客には明らかになったところで、背筋がひやりとした。
    あのタイミングで「金貸してくれ」はないだろうに。

    お手伝いさんも男を連れ込んでいるし、そのお手伝いさんが盗み聞きしているのだろうと思っている夫のことも、夫の友人たちも、微妙な空気。
    夫の妹も、妻の弟の嫁に対して、何かある。
    妻の前夫が登場するのも異様だし。

    妻が困惑するのもわかる。
    夫は「夫婦生活」に問題があるのではないか、と思い込んでるだけで、実は、それだけではなく、すべてにおいて、気持ちの悪さが妻には感じられての、家を出る、という決断ではないのか、と思えてくる。

    介護が必要な夫の母が、奥にいるという感じも、舞台に、じんわりと効いている。

    物語の中心にある夫と妻の関係がグラグラと不安定なだけではなく、登場人物たち全員が、どこか不安定なところに立っていて、グラグラしながらそこにいる。
    小さな悪意と不安定さ。
    その不安定さの中心は、やはり、達磨である夫だ。

    達磨って、起き上がるけれども、ちょっと触れただけで、グラグラしてしまう。
    そのグラグラの波動が全体に波及していくことで、物語の気持ち悪さが増幅されていく。

    波動は観客席まで流れ出て、とても居心地が悪くなっていくのだ。
    マイクロバスの運転手の痛むお腹のように、牛乳飲めば治るかもしれないのに、牛乳がない。

    時折、それらの不安に中で、小爆発が起きる。

    一家の知り合いの1人コンちゃんが夫の妹に迫ったり、妻の弟の癇癪だったり、コンちゃんの「よいとまけ」の歌だったり。
    それが物語に独特のリズムを与えている。

    布団が敷かれている夫婦の部屋の狭さがいい。
    そして、ポツンと立っている庭木のバランスもいい。
    根元が白く、寒々しく立っている。

    表立って何か言うわけでもないのに、会話の背景が見えてくる。
    そして、その居心地悪さの空気が伝わってくる。

    それは、別に聞きたくもない、他人の込み入った話を聞かされているような、そんな感覚だ。
    特に、夫婦生活とか。
    そんなうまさが戯曲と演出にあった。

    岩松了さんとサンプルの組み合わせは、良すぎる。
    良すぎて気持ち悪い(笑)。
    この組み合わせ、また観てみたいと思った。

    役者は、夫役の古舘寛治さんは、いつものとおりなので、それが見事だったのだが、それに対する妻役の安藤真理さんの、姿勢が崩れない感じ、つまり身体の姿勢ではなく、心の姿勢というか、それがしっかりとしているからこその、古舘寛治さんの夫が際立つという夫婦役の噛み合い方がとてもよかった。
    妻の弟の嫁役の野津あおいさんの、少しほろりと崩れたような脆い佇まいもナイスであった。印象として、客席にはほぼ背中だけしか見せていないので、横座りな感じが病的さを醸し出していた。


    フライヤーのイラストはいがらしみきおさんが描いたものだ。
    観劇後に見ると、ひっくり返った洗面器に、ポラロイドから牛乳パックまであり、舞台のセットそのもので、見事に、この作品の世界であった。

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    2015/03/09 05:39

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