まほろば物語 公演情報 劇団SAKURA前戦「まほろば物語」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    演劇と、「労働」
    客席から、すすり泣く声が続々聞こえてきて、ちょっとびっくりした。ベタな上にもベタな、チャンバラあり、人情あり、フラメンコあり(なぜ?)の、ハートフルなファンタジー。

    泣いていた、今日の客席を埋めていた人たちは、普段、あまり舞台を観慣れていない人たちだろう、と思う。自転車で、近所の人に宣伝活動をしたというから、池袋の劇場周辺に住む、普通の人々かもしれない。

    なんというか、キャラメルボックスを、大衆演劇と韓流ドラマで割ったようなテイスト。なんだか、ある種、伝統芸能みたいな感じがした。海外で受けていると、チラシにあるのは、こういう、「日本」っぽさが受けているのだろうか。

    とにかく、僕ら東京の、いわゆる演劇ファンが、普段「演劇」だと思っているものとは違うものだ。普段の観方と、全然違うものが要求された気がした。

    ネタバレBOX

    出てくる人が、みな、優しい、いい人。悪人は全然出て来ない。それぞれの悩みを抱えて出てくるけれど、ファンタジーの世界を通じて、最後は、全て解消。でも、大団円に至る手段は、荒唐無稽なファンタジーだけれど、不思議と、彼らの選ぶ、その後の生活は、泥臭い、生活感溢れるものだ。

    離婚後、一流広告会社・企画部をやめて自殺を考える男と、なにをやってもうまくいかず、強盗を考えていた男が、物語の最後に、定職につく。それはどうやら、作業着にヘルメットの、肉体労働なのだ。彼らが楽しげに仕事をする、ラストシーンの一場面は、なかなかじーんとくるのだけれど、つまり、どうやら、この劇団は、こういう、地に足の着いた、広告業界とかではない、「労働」こそが、まっとうな生き方なのだと考えているようなのだ。

    この感覚は、東京で、演劇をやっている人や、演劇を観ている人には、ないものだと思う。僕らは、「労働」ということを、あまり考えない。考えようとしないのかも。よしんば考えたとしても、思いつくのは頭脳労働。作業着姿で、楽しく仕事をするシーンを、ラストに持ってはこないと思うのだ。

    思えば、もともと演劇は、大衆の娯楽だった。普段、しっかりと手に職を持った人々が、たまの息抜きに楽しむ、生活に密着したものだった。今の僕などは、「労働」よりも、演劇を中心に生きている。それは、東京では珍しくないので、当たり前だと思っていたけれど、実は、かなり不自然な生き方かもしれないのだ。

    社会の情報化した現実を考えれば、「労働」することでまっとうな暮らしができるというモデルは、当然、かなりのアナクロニスム。でも、なんだか、この舞台を観ていると、そして周りで泣いている人を見ていると、間違っているのは、社会の方なのじゃないか、という感じがしてくる。

    考えてみれば、「労働」が描かれた演劇って、あまり観たことがない。演劇は、「労働」から遠い世界なのかもしれない。そして、「労働」を描かなくなったことで、「大衆」からも遠ざかっていたのかもしれない。大衆演劇の匂いを持った、この舞台は、だから、とても貴重なものだと、思った。

    作者は、「労働」なんてこと、全然意識していないかも。でも、しつこいけど、「労働」を力強く描くということは、制作者の意図に関係なく、それだけで、こんなに強い印象を残してしまうものなのだ。そして、その上で紡がれる物語を、労働を忘れた僕らは、「ベタ」と呼んでしまうけれど、そこにこそ、しっかりと働いている人の心に届くものがあるのかもしれない。

    泣けなかった僕は、やっぱり、いつもの演劇の世界の方が、好きなのだけれど。

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    2008/09/13 04:02

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