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    ひろさちやと,マザーテレサをつなぐ,「慈悲」の世界
    ひろさちやと,マザーテレサをつなぐ,「慈悲」の世界

    ひろさちやは,般若心経についての本で,大乗仏教の奥深い思想を紹介している。人間は,煩悩があるが,そこに執着しないことをすすめる。マザーテレサの話は,確かに,キリスト教思想を持つ女性の活動が語られている。ちがう背景を持ちながら,ひとびとから煩悩をなくすことに,両者は似ている。

    ひろさちやは,あたたかい眼で相手に接するから,相手は良い人に見えて来る。逆に,憎しみをもった眼で見れば,憎しみがわく。ものを見るということは,「空」なるものだから,見かたによって,見る方向によって,ちがったものが見えてくるものである。そのことを忘れてはいけないという。

    観世音菩薩,観自在菩薩は,素晴らしい。マザーテレサも,きっとそのような資質をもった人物にちがいない。音は聴くもので,見るものでないが,助けを求めているひとの口許を,菩薩は見ていて,すぐに助けてくれるのだ。カルカッタの貧民窟に,若き身をおいて,虐げられたひとびとを見るのだ。

    自分の心が冷たいと,他人の心も冷たい,と見えるものである。だから,宗教家は,自分自身がまず変わり,やがて,周囲のひとびとも感化されていく。

    般若心経では,舎利子(シャーリプトラ)よ,と観自在菩薩は,呼びかける。大乗仏教にめざめて,エリートのためでない,宗教活動をすすめる。マザーテレサも,キリスト教会下に身をおきながら,じつは,より広い意味の慈善活動に道を開くことになる。差別にこだわらず,病人をいとわない。

    物乞いといえば,仏教での,布施である。これは,「空」の心でしなくては意味がない。施してやるのだ,というような傲慢な気持ちはだめである。自分が,プレゼントしたものを,あとは,どう利用されようがケチをつけるなんてもってのほかである。素直な,まごころをもって,プレゼントをしよう。

    佛教説話には,ウサギが出て来る。ほかの動物は,気のきいた「布施」を行うことができた。しかしながら,ウサギだけ,したくても何も持っていなかった。帝釈天は,旅人に化けて,彼らの「布施」を見ていた。ウサギは,たき火に焼身して,身をささげようとする。驚いた帝釈天は,助け,月に姿を刻んだ。

    ひろさちやは,われわれは,どうしても気に入らない人は,軽蔑の目で見るが,みなが菩薩になりうるのだと,広い心をもつように努力してほしい,という。誰もが,菩薩。それも,不完全な,赤ん坊の菩薩なのかもしれない。菩薩の歩みというのは,道を歩もうとしない大人などより,一歩を歩いた小学生の方がすばらしいという考えかたなのだと。

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    2015/02/22 21:47

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