ゲンジツパビリオン 公演情報 ゲンパビとこゆび侍「ゲンジツパビリオン」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    ぐりこ
     ゲンパビ主催の阿部 ゆきのぶのシナリオ2本、1:「ハコ舟センチメンタリズム」2:「明日が見えない」の2本立てを1は、こゆび侍主宰の成島 秀和が演出、2は、阿部が演出も担当した。グリコみたいな企画である。こころは、無論、一粒で2度おいしい! である。2本に共通したテーマは、追い詰められた若者、だと解釈した。早目に行くべし(見切れ注意)(追記2015.2.11)

    ネタバレBOX

     1は、アイデンティティーに関わる問題だが、通常ならアイデンティファイできる所で齟齬が生じている。人間はサルトルが指摘した通り他者を見て自己確認するのであれば、アイデンティティー形成に関しての必要条件は他者である。その他者が、自らが生まれ落ちた環境内で在るのが家族を成立させる成員であろう。この物語では、この家族の内、父母は既に亡くなっているので、現在、殆ど人間関係のない姉、弟にとって、最も身近な他者とは、互いの存在である。だが、姉弟は、思春期の早い時期から、未だ生きていた父母が、父、母を演じており、自分もまた、子供を演じている、という強迫観念に纏わりつかれ、この観念から自由になれないという悩みを抱えているのだが、その悩みを対象化できずにいる。姉にとって、それは、弟へのタブーを越えた愛の形を取り、弟には、タブーを越えてはいけない規制はあるものの、足場を失ったカオスとしての存在基盤を示した。その結果、弟は出帆、宗教組織の合宿所に入り2年間を過ごすが、問題は一切解決されず、ただ、本質に出会うことが出来なかったという事実だけが覆い被さってくる。仕方なく実家へ戻るが。姉の歪んだ愛情表現は、変わっていなかった。姉の望んでいるのは、実の姉弟の相姦である。
     然し、外に出て、少し大人になった弟は、キチンとタブーの意味する所を理解し、小学校の頃からおかしな縁のあった塔子との個人的関係を通して姉にノンを突きつける。感受性が豊かで、決して非理性的ではない姉も、弟に指摘された通り高校時代の同級生で、家に帰る途中の喫茶店の岡田を嫌いでないことを悟り、少し大人になった。自らの道を歩んで幸せを目指せる道を見付けたのであった。
     2は、“Bonnie and Clyde「邦題:俺達に明日はない」”のシーンと実在した、この銀行強盗に憧れる“さき”と彼女の彼でバンドマンの“恵太郎”との逃避行が、フラッシュバックの手法と映画のシーンと日本での彼らの逃避行を織り込み乍ら進展してゆく。さきが、ボニーとクライドに憧れるのは、彼女が不治の病を病んでいる為だが、彼女がどちらかというと積極的に破滅にのめり込んでゆくのに対し、恵太郎は、自分にはできないと日和る。唯、ボニーとクライドとの映画の会話しかしなくなったさきに「ボニークライド役でない彼女と話したい」と言う恵太郎の寂しさ。侘しさ、辛さは痛切。
     一方、今作には、日米のインテグリティーの差も現れているように思う。作品としては、2の方が好みだが、残念だったのは、見切れ場面が多かったことだ。見切れのないような小屋で、再度、じっくり拝見したい。役者は二人とも良い演技をしていたので尚更である。

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    2015/02/04 14:57

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