国道五十八号戦線異状ナシ 公演情報 国道五十八号戦線「国道五十八号戦線異状ナシ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    消費されないことへの怖れ
    ここには、現代社会そのものの、ある側面が、あると思った。

    基本的には、口当たりの良い、さわやかなエンターテインメント。上演時間も短く、後を引かない。逆に言えば、あまりにもきれいにまとまっていて、後に残らないとも言えるのだけれど、それこそが、作者の意図とは関わりなしに、世界を映しているのではないかな、と思った。

    ネタバレBOX

    チラシの持つ、重々しい雰囲気や、非常に濃密なストーリー紹介。果たして、このようなストーリーを、舞台上で、どのように表現するのか。チラシに、トリックが仕込まれているのか。舞台は、上演前から、観客を巻き込んで、ある種の情報戦を、戦わせる。

    物語そのものも、情報戦がメインとなっている。核の起爆スイッチを手にしてしまった、どこにでもいる(この、どこにでもいる、という感じが、舞台美術を含めて、徹底的に演出される)若者たちと、外務省の担当官僚と名乗る男との、丁々発止のやりとりが、物語を牽引する。

    このような情報戦を、僕らは、日々、経験しているような気がしてくる。例えば、こりっちの口コミをみて、自分の需要に合った舞台を捜す、というように、ネットの世界は、常に情報の海との戦いといえるかもしれない。そして、ネットの情報は、日々消費され、忘れられる。

    なんだか、この舞台が、ネットそのものみたいに見えてくる。登場人物たちの設定の説明は、なんだか、ネットのテクストに貼りつけられた注のように、キャプションみたいだ。また、実は、この舞台美術は、沖縄の、祖国復帰運動のときの座り込み小屋らしいのだけれど(アフタートークで触れられていた)、物語中は、ちらりと触れて、スルーされる。情報の詰め込まれた舞台に、後で検索をかけたくなる。

    ここには、それが消費されることまで織り込み済みで、世界を情報として捉える世界観が、みえるような気がするのである。実際、鮮やかなどんでん返しが続いたあと、物語は、きちんと折り畳まれて、試みに提示された、ネット活用の紛争抑止システムとともに、すっきりと消えていく。そして、僕は、あっという間に忘れる。この舞台には、あらかじめ、消費されることへの怖れみたいなものはなくて、むしろ、必死で、自分から、消費されようとするみたいなのだ。

    僕には、この舞台の中で、そこが、一番面白かった。作者の友寄総市浪は、明治大学の五年生。大学入学を期に上京した、沖縄生まれの沖縄育ち。自分の育った、問題だらけの沖縄が、本土では南国の楽園みたいに捉えられていることへのギャップに驚いたと語っていた。

    だが、そういう現実を捉える目は、驚くほどに軽くて、そしてその、鋭さをもった軽さが、武器となって、僕らに、消費を、許す。後は、どれだけ、打ち込めるかだと思う。いつまでも情報が残るネットと違って、舞台は、どうしようもない一回性のものだ。消費された瞬間に、消えてしまう。そして、この舞台も、驚くほどの早さで、「観た」という情報へと消えた。それは、「次」への安心、油断のようなものかもしれないけれど、これは、学生演劇。(五年生とは言っていたけど)「次」は、多分、約束されていて、僕は、それを、楽しみに待とうと思う。

    0

    2008/09/05 11:03

    0

    0

このページのQRコードです。

拡大