満足度★
旅人たちが内輪で盛り上がっているだけの自閉演劇/約95分
今回、2度目の再演だという。
つまり、もう3度も上演しているということ。
そこまでの作品だろうか、というのが正直な思い。
中東某国の日本人向けゲストハウスで旅人たちがウダウダとくっちゃべったり空騒ぎを繰り広げるばかりで、ともかくドラマ性に乏しい。
交わされる会話も海外旅行や諸国の事情にまつわるトリビアルなものがほとんどで、普遍的な面白味に欠け、海外を舞台にした柄の大きい作品というより、旅オタクが内輪で盛り上がっているだけの自閉演劇という印象。
外に対して開かれている感じがしないのだ。
しかし、ドラマ性に乏しいのは当然っちゃあ当然で、ハウスに居る者らはしょせん行きずりの関係に過ぎず、そこにはしがらみもなければ深刻な利害対立もなく、ドラマが生まれる素地がない。
演劇に限らず多くの劇が会社やイエ、学校、国家など、広義の組織を作品の舞台に据えている理由がよく分かる。
しがらみ、厳しい掟といった縛りのないところにドラマは生まれにくいのだ。
日本人向けのゲストハウスという、人間関係が流動的で固定せず、大したしがらみもない場所でこれといったドラマが生まれないのは当たり前なのである。
しかも、旅慣れている者らはトラブル慣れしていてマイペンライな気風の者が多いのか、些事にぐじぐじ思い悩まない。
これがドラマ性の乏しさに拍車をかける。
MCRの作品なんて、些事をぐじぐじうじうじと思い悩む女々しい人物しか出てこないが、嫉みやそねみ、憎しみなどに支配された小人物同士のぶつかり合いがなんとも面白いドラマを生んで、とても見応えがある。
ところが本作の主要人物は小さなことを気にしない「立派」な人たちばかりなので大きな諍いは起きず、したがって大したドラマも生まれない。
作・演出家は自身、海外経験が豊富なようで、本作でゲストハウスに長居している“旅の達人”たちに近い人なのかもしれないが、彼らのような“細かい事を気にしない寛大な人物”を目指すのでなく、もっと小姑みたいな人物を目指したほうが良いのではないだろうか?
些事にいちいち固執したほうがいろんな事を考えるだろうし、そういう生活を送ったほうが作品のアイデアも生まれやすくなると思うのだ。
しかし、海外経験が豊富なのも考えものだ。
その場合、作り手はどうしたって国外での貴重な経験を作品に生かそうとするだろうし、そうした創作態度は結果として作風を狭めることになる。
事実、海外経験を礎にした本作は3度も上演されているわけで、2度も再演する代わりに全く別趣向の作品を1本でも2本でも作っていれば、それだけ作風も広がったはずなのに。。
まったく、残念と言わざるをえない。
とはいえ、海外経験に材を取る本作のような演劇が少なからず作られてしまうのは、海外経験が豊富な者を“広い見聞を持つ豊かな人物”として崇めがちな日本人の国民性にも一因があろう。
海外行きだけが見聞を広げるための方途ではなかろうに。。
海外通にしか見出しえない人生の真理があるのと同様、仕事のできないサラリーマンにしか見出しえない真理、引きこもりにしか気づきえない真理、破産経験者にしか知りえない真理…等々、世の中には色んな真理があるはずで、それぞれの真理に至るための道筋は様々。
単純に海外へ飛べばいいってもんではないのである。