漏れて100年 公演情報 突劇金魚「漏れて100年」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    内側に向いたカメラからの人生の俯瞰
    舞台に描かれるものの視座に思い当たるまでは、
    紡がれるものが混沌に思えましたが、
    舞台の仕組みから、その視座を受け取ることができると
    描かれるものがとても面白く感じられました。

    作者の意図を追いかけているとは限らないのですが、
    でも観ていてその結末どのようになっていくのかを
    ずっと見つめてしまいました。

    ネタバレBOX

    場内にはいるとややそそり立つようなセットの向こう側に「-5」の文字が見える。それが、気がつけば「-4」になり、「-3」になり、やがて0にいたって舞台が歩み始めます。

    最初は描かれているものの意味がほとんど理解できませんでした。
    首輪をつけた若い男がいて、それをリードでコントロールする母親らしきひとがいて。
    その光景に見入っているうちに壁面の数字がひとつずつカウントアップされていく。やがて彼らの名前がわかって、舞台の仕組みが少し見えてくる

    その数字が年齢となり舞台上が一人の人間の新風景に見えてきたのは、名前と首輪のことが大きいかも。
    「ゆめ」がすっと首輪をはずしてしまうのに「さち」の首輪がいつまでたっても外れないこと、その名前と首輪のありようで、二人の関係がすっと浮かび上がった。
    そうなると、作り手の寓意とはずれているかもしれないけれど、たとえば植物だけを食べる生活は肉欲に対する純潔のような貴がしたし、母親のご飯をたべないことは、反抗期の子供の家庭への反発のように思えたりも。

    そのうちに、「うた」がやってきて、大きくなって、死んでしまうのは、なにかある年代のアーティストやアイドルに熱狂する気持ちの具象にも思えたし、「ゆめ」が首輪をはずして去っていくのも、現実が見えてきた年代にさしかかったからかなぁとこれはあとで考えたり。

    やがて、滝の裏側にある現実の知識を身につける20代、30代には勢いで才能を撒き散らし、そのことに違和感を感じて、「無限」のやり方を自らのものとしていく30代から50代。そこをすぎるともはや「無限」の姿もなく、その探求に縛られるのではなく、積み重ねたものによって解き放たれていくような感じがする、

    そして、90を過ぎると積み重ねられた記憶は悟りのようになり、回帰し100へのカウントダウンを迎えていきます。
    内を見る視座が外れ、振り返る刹那のありのままの姿が切り出されて、描かれたものがすっと描かれる時間の実感に重なる。

    観終わって、なにか、目から鱗がおちたような気がしたことでした。

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    2014/12/08 06:52

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