『さらば! 原子力ロボむつ ~愛・戦士編~』 公演情報 渡辺源四郎商店「『さらば! 原子力ロボむつ ~愛・戦士編~』」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    何度でも観たい
    2012年に一度観ているのにも関わらずこの衝撃は何だろう。
    世の中全体があの記憶を薄れるに任せている現状にあって
    ますます明快な問題提起を突き付け、しかもその手法はあまりに鮮やか。
    効果音や歌、そしてロボむつの声を担当する高校生たちが素晴らしい。
    さんざん笑ってあのラスト、孤高の戦士はあまりにも孤独だ。
    そしてTOKIOもNIPPONもただただ情けない。

    ネタバレBOX

    青森県の人口が減る一方の町で、新しく町長になったエイスケは
    核廃棄物の受け入れを決定、10万年かかるというその無害化を見届けるため
    自らコールドスリープに入る。
    しかし科学の発達を信じてエイスケが何度コールドスリープを繰り返しても
    “やばっちもの”(核廃棄物)は相変わらず危険なまま、それどころか
    施した処理のせいで毒性が増していることが判る。
    “やばっちもの”を無害化した“アズマシウム”を造り出すはずのロボむつは
    今や壊れたまま放置され危険物質を垂れ流すだけの巨大な塊となっている。
    やがて人類が死に絶え、ロボットの寿命が尽き、ロボむつとも交信が絶える。
    コールドスリープを繰り返すたびに細胞が生まれ変わったエイスケだけが
    ひとり取り残される…。

    必要なものは何でも地方に作らせる東京と
    それを受け入れなければやっていけない地方との対比が見事。
    冒頭、強烈な(英語よりわからない)津軽弁がその落差を端的に表していて
    作品のベースにある“東京=国に対する屈折した怒り”が
    ストレートに伝わってくる。

    最初は受け入れを渋ったものの、いざ核廃棄物を受け入れてみれば
    莫大な収入をもたらし、やがて世界中から廃棄物を受け入れることを決定、
    ついに青森県は独立国家となる、という荒唐無稽な展開が説得力をもつのは
    日本に脈々と流れる“お決まりの思考回路”を浮かび上がらせているから。
    しかし同時にりんごもイカも今や誰も食べたことがない、
    過去の記憶となってしまうという
    手にしたものと失ったものとの提示が巧みで、
    この辺りは笑いながらだんだん苦味が増してくる。

    脚本の巧みさに加えて、アンサンブルの高校生たちが繰り出す
    効果音の素晴らしさ。
    特に、ロボむつの声を大勢で唱和する演出は、
    不気味でありながら哀しみがにじんで秀逸。
    “サツキ”と“ミナヅキ”の2人のロボットが、完璧なハモリで
    同じ台詞を言うのも感動的だ。

    「中央と地方」、「得るものと失うもの」、「責任と無責任」、それらを
    シンプルかつ明確に対比させる解りやすい構造なのに、深く考えさせ、
    あんなに笑って観ていたのに暗澹として終わる…。
    社会的メッセージ性とエンタメ精神が
    これほどバランス良く配されている作品を私はほかに知らない。

    セットもなく、衣装もジャージの上にマントを引っかけただけの王様だったりするが
    そんなことは舞台表現に何ら関係ないことを教えてくれる。
    いつもながら安定した演技を見せる大人たちはもちろんのこと、
    まだ10代の高校生が「カッコ良く見せよう」とか「褒められたい」ではなく
    作家の意図に共感して「伝えたい」という思いで演じていること、
    しかもその思いがけた外れに強いのだということに気づく。
    だから、彼らが全身全霊で鉄腕アトムの歌を歌っているだけで
    感動の行き場を失った私はもう涙が止まらなくなるのだ。

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    2014/12/04 03:35

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