期待度♪♪♪♪
フッサール
彼が唱えた現象学だって、その認識の領域に於いて、不確実である。対象が不確実なら、それを観測する主体だって不確実たらざるを得ない。では、ヒトは何を以て自らの生活の中で起こる問題を処理しているのか? 多くは、慣例に従い、それ以上のことは考えない。苦闘して、ノイローゼになる。或いは自死に至る。狂う等々、対応は様々であるが、まだまだ、やり方はあり、実際、自分もその中の一つを編み出した。その方法は、暫定的なものである為、認識論そのものの、上記の問題を解決するのに役立つことはないからここには記さない。が、別に小説家ならずとも、ちょっと、考える経験を持った者なら、誰でも、この問題を避けて通ることはできない。このシチュエイションで、どうやって演劇化するか楽しみだ。