八月納涼大歌舞伎 公演情報 松竹「八月納涼大歌舞伎」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    遊び心たち、戦い合って、光る(第二部)
    歌舞伎を観るのは、たくさんの部屋を巡り歩くよう。それぞれの部屋は、繋がっているけど、全然違う部屋(もちろん、平屋だ)。役者や物語、踊りや音楽といったたくさんの要素が、調和というより、同時に並ぶ。

    めくるめく、無限に広がるバリエーションの部屋部屋を自由気ままに巡るのは楽しいけれど、迷ってしまうこともあるかもしれない。

    第二部の演目は、新派舞台の歌舞伎化、二幕の人情もの『つばくろは帰る』と、先代勘三郎のための書き下ろしだった舞踊劇、『大江山酒呑童子』。

    ネタバレBOX

    例えば、2DKの家で、フローリングと和室の6畳間が並んでいる、よくある間取り。畳の部屋と、板張りとでは、身体のモードがかわる。ワンルームに慣れた目には、それぞれ、独立した部屋に見えるかもしれない。でも、襖を隔てて並んでいる部屋同士は、一つの家の中に、並んでいるのだ。

    歌舞伎という家は、400年の歴史を持っていて、今も拡張を続ける、とんでもなく広いものだ。たくさんの部屋があって、その部屋の中に、さらに細かい部屋が並んでいる。いくつもの要素が、ブロック分けされていて、人々は、その中から、自分の好きなブロックを、楽しむ。これは、案外、今に合ったスタイルかもしれないとも思う。

    僕は、特に、舞踊劇の部屋が好きだ。お能の影が見え隠れするそこでは、並んでいる、形式だとか、物語だとか、音楽だとか、もちろん役者だとかの諸要素たちが、舞踊が高まる一瞬に向けて、戦い合いながら、みなぎる空気を、通い合わせる瞬間をみることができる。

    舞踊劇『大江山酒呑童子』の物語は単純明快。ご存知モンスターハンター源頼光さんが、仲間たちと一緒に、大江山に住む酒呑童子という鬼を退治に向かって、酒に酔わせてやっつけるという、それだけの話の中に、踊りの見せ場がたっぷりある。主役は、もちろん、中村勘三郎の酒呑童子だ。今回は、それに、串田和美の舞台美術が、戦う。

    日本人の伝統的な視線は、「横」に広がる、平面世界。神様の視点である縦の視点だとか、遠近法の奥行きだとかは、ない。歌舞伎の舞台は、だから、横に長い特殊なもので、背景は、ぺったんこな書き割りが基本。

    串田和美は、いきなりそこにチャレンジ。舞台の上に、もうひとつ、ちょっとした舞台のような台を用意。さらに、書き割りの代わりに、縦に長い、水墨画風の絵を三幅、並べる。これで、能舞台のようなちょっとした奥行きと、突き刺さるような、縦の視点(批評の目でもある)が導入される。

    酒呑童子の衣装も、奇抜で、おしゃれ。オレンジに、若草色の重ねを合わせて、チェックの袴で登場。神通力を自慢して舞台上を飛び回ると、最後は人形が、背景の水墨画の中を飛び回る。遊び心がたっぷりの美術と、演出。

    勘三郎の酒呑童子は、愛嬌たっぷり。遊び心溢れる舞を、時に激しく、時にゆったり、ユーモラスに踊る。酔っぱらって、「ふらふらと」してしまって、挙げ句やられてしまうのがかわいそうになる。

    美術と、演者と、それぞれは、別々の部屋だ。それぞれが、それだけで、楽しい。でも、それが、舞踊の場面になると、丁々発止のやりとりを始めて、戦い合う。戸が開いて、風が通る。歌舞伎の伝統への戦いでもあるのだけれど、400年の積み重ねは、それを飲み込んでしまうだけのふところの深さを持っている。いつの間にか、きらきらした、明るさが滲んで、楽しんでいるのが、伝わる。

    ばっさり斬られた酒呑童子は、舞台真ん中、小舞台の中央に、ばったりと倒れる。すると、ずずずっと小舞台が起き上がる。ざざざっと黒い砂が滝のように流れ落ちる中で、ハリツケのような格好の酒呑童子がにらみを効かせて、幕。客席が、どよめいた。最後の最後まで楽しい舞台。第三部ばかりが話題だけれど、こちらも、渋く、楽しめます(チケットが取れなかった負け惜しみではないですよ)。

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    2008/08/18 01:06

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