「廃墟の鯨」 公演情報 椿組「「廃墟の鯨」」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    人の生命力が熱く溢れる舞台
    毎年夏に花園神社で野外劇を上演している椿組。
    そして、そこに、土の香りが強いセンチメンタリズムが充満する舞台を見せてくれる、劇団桟敷童子の東憲司さんの作・演が合体した。

    椿組の野外劇と東憲司さんの作風は、ぴったりとしか言いようがないので、とても期待して花園神社に向かった。

    ネタバレBOX

    劇団桟敷童子とは違い、年齢の幅、色とりどりの役者の個性が揃い、さらになんと、28人もの登場人物が舞台の上に現れる。

    しかも、それぞれの登場人物が活き活きと描かれており、舞台の上が役者で一杯になるシーンでも、どの場所を切り取っても「人間」がそこにいる、と感じられる熱い舞台であった。

    もちろん役者さんたちが上手いこともあるのだが、これだけの役者を動かし、まとめ上げ、作品に仕上げていく、東憲司さんの力を見せつけられた。

    役者の身体と気持ちがうねるように、物語を作り上げていく。
    その「うねり」は「人間の生命力」であり、人間賛歌に溢れていた。

    舞台は、戦後間もない頃の地方都市(復員船が到着するところ。たぶん桟敷童子でお馴染みの九州地方か)、下水が流れ込むドヤ街。そこに暮らす人々。
    このあたりを仕切るヤクザたちと、彼らに使われている「(米兵に対する)肉の防波堤」と呼ばれている娼婦たち。
    彼らの前に、満州から引き上げて来た、女が現れる。
    彼女は、ふとしたことから娼婦たちを逃がすことを手伝おうとする。
    そこで一波乱起きる。
    そういうストーリーに、戦争孤児たちや、満州の花屋などの話が絡んでくる。

    セットが野外劇であることを十二分に活かしたものだ。
    土の舞台、左右に爆弾が落ちた後に水が溜まっているという池、そこに天井から下水(本水)が、時折、大量に流れ落ちる。
    オープニングから奥のドヤ街のバラックが立ち上げるシーンは素晴らしい。
    新宿の喧噪、パトカーまでもが良いSEとなっている。
    ラスト近くに大立ち回りがあるのだが、これが凄い。
    水たまりに落ち、水がしたたり、必死の形相でつかみ合う。
    単なる「手順」の立ち回りとは大いに異なって見える。
    それだけの迫力があった。

    主演の満州帰りの女・番場渡は松本紀保さん。
    ドヤ街の住民やヤクザたちの中にあって、凜として立ち、なかなかカッコいい。
    病気であるという設定も効いている。

    主演と書いたが、物語の「軸」という意味である。幾人か登場人物たちが軸になる、群像劇であると言っていい。桟敷童子のスタイルである。
    さらに、軸となる番場渡は、ラストの早い時期に死んでしまうのだ。
    彼女の死を先に引っ張っぱることで、センチメンタリズムを感じさせるのではないところが、いいのだ。

    八幡を演じた山本亨さんは、熱っ苦しくで、やっばりいい。グイグイ来る。
    ヤクザの兄貴を演じた、粟野史浩さん、犬飼淳治さん、伊藤新さんはタイプの違う、いかにも悪そうな顔つきが良かった。
    飲んだくれのエイボウを演じた椎名りおさんは、こういう役は初めてではないだろうか。爆発していた。こういう役は立ち位置が難しいと思うのだが、全体にうまく溶け込んでいた。

    「主」とか「脇」ということを意識させず、どの登場人物も熱気でギラギラしている。
    そのギラギラした熱を見事にひとつの方向にまとめ上げたと唸る。

    「人間、まんま生きる」がテーマ。
    満州帰りの番場渡が繰り返し言う。
    そして、それは「今」を生き抜くということだけではなく、「明日」という日があることを想い生きるということを意味している。
    孤児の1人が「ここには明日はない」「今日の次は今日だ」のようなことを言うのだが、そうではないことを意識させる。

    番場渡は、満州では「満州花屋鯨の桜」という花屋のお嬢さんだった。
    満州生まれで満州育ち。日本は遠い故郷。
    このドヤ街に日本の桜を育て、花を見たいと思っている。

    孤児は桜の花に「明日」を想い、娼婦たちは「明日」の自分たちを思い描く。

    ラストはタイトル通りで、テント芝居の常道であるから、奥が開き、鯨が出てくるのだろうと想像していた。
    もちろん、そうなったのだが、そこまでの引っ張り方がとても上手いのだ。
    桟敷童子であれば、意外と早くそのシーンは訪れるのだが、ここではラストであろうと思っていた大立ち回りの後ではなく、それから時間が経っていき、「明日」がやって来たドヤ街の人々の前に現れるのだ。

    死んで行ってしまった人たち、去って行った人たちが、大きな鯨を支えながら現れて来る。
    このシーンには、わかっていたはなのに、グッと来てしまった。
    美しいシーンだ。

    人の命が、ワーッとこちらに溢れてくる、素晴らしいシーンであった。

    オープニングと劇中の歌も良かった。

    椿組の野外劇としても、東憲司さんの作・演出としても、トップクラスの出来であったと思う。

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    2014/07/16 19:51

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