「廃墟の鯨」 公演情報 椿組「「廃墟の鯨」」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    思想の劇作術化:群像劇の可能性
    東憲司氏の思想(視線)が、椿組の群像劇の手法と混じり合い、
    あらたな劇作術が生まれている。見事なコラボ。

    物語演劇にも、このような可能性があるのだなと感じた。

    作品自体の満足度は☆4ですが、この劇作術に✩5。

    詳しくはネタバレで。

    ネタバレBOX

    物語を牽引している人物は数人いるのだが、
    その人物たちが、ヒロイン・ヒーローとして機能することはない。
    観客にカタルシスは与えないのだ。

    中心人物たちは、希望を掴むこともなく、無残に死んでいく。
    それも仰々しく死ぬというよりも、割と簡単に死んでいく。

    では、この物語の主人公は誰かというと、それは、その他大勢の人々。
    つまり、一般庶民、、、無名の民、、、群、、、、である。

    東憲司氏は、以前から、庶民に対しての視点を強く持っていたが、
    その視線が劇作術にまで反映されたことは、
    私の見た限りでは無かった。
    今作では、そんな劇作術が生まれている。

    物語演劇にこのような反転のさせ方があるのだなということに驚いた。
    物語構造を反転させていると共に、権力構造を反転させている。
    力を持った強い者が主人公なのではなく、
    力のない匿名の民が主人公であるという。

    ラストシーン近くでは、かつての築地小劇場などのプロレタリア演劇は、こういう感じだったのかなと思いながら見ていた。

    作品の類似という意味では全くなく、その思想の劇化というような部分で。
    また、それを観客が共有するというような意味でも。

    ある意味では、これこそまさにプロレタリア演劇!
    (主義主張のあるプロパガンダという意味では全くなく、権力構造を根本的に反転させている劇作術だという意味で。)







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    2014/07/14 22:28

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