三月の5日間 公演情報 岡崎藝術座「三月の5日間」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★

    内輪で、ローカルな。小田急の3日間。
    演劇というより、パフォーマンスだと思った。それはいい。

    「演劇」という枠組みの中で、その枠組み自体を解体/批評したチェルフィッチュの作品を、演劇の枠組み自体を取っ払って、独自の強力な誤読を押し通してしまった力技の公演。

    「観た」というより、「体験」した、という感じで、それは、確かに楽しいのだけれど、納得できない(ごめんなさい)。というのは、『三月の5日間』は、きっかけでしかなくて、途中から、俳優が何をしゃべっているのかという、戯曲の内容の部分がないがしろにされて、演出家が何をしているのかという、仕掛けの部分だけをみせられているような気分になったから。

    これなら、『三月の5日間』をネタにしたパロディの作品を、新作でやるべきだ、と、思った。

    ネタバレBOX

    チェルフィッチュ版の振り付けが、段々誇張されて劇的になるにつれて、自転車、バイク、車、と、舞台上に登場する乗り物もランクアップ。本物の車の登場にびっくりしていると、休憩のところで、観客が、劇場の外へ追い出されて、劇場前の路上の、人が行き来し、車がびゅんびゅん通る前での上演に切り替わる。

    演出の神里雄大さんの、「新百合の町を観て欲しかった」という言葉どおり、もう、この時点で、演劇どころではなくなった。僕らの前では、もとの姿の欠片もない、限りなく劇的に演じられる、なんだかわけのわからない、『三月の5日間』らしきものが進行するのだけれど、目に入るのは、演劇が路上で上演されていても、意外に無関心に人が通り過ぎて行く、小田急の、開発途上の、人工的な新興住宅地の方だ。

    ここには、神里さんの、岡田利規さんへの挑戦がある。神里さんは、『三月の5日間』を、「オシャレな場所」の作品として、読んだ。六本木や、代官山や、渋谷が、体感レベルで登場する作品として、だ。そして、そんなイケてる世界へのルサンチマンを爆発させて、オシャレな作品を、「新百合ケ丘」という、行き着く先がよみうりランドや小田原という、アクセスが悪いわけではないのに、どこかローカルな、無理してる、小田急沿線の新興住宅地(そして、神里さんの地元)に持って行くことで、解体して、破壊してしまう。オシャレなはずの作品が、ローカルな町に、負ける。

    なんというか、すごい、私怨のエネルギー。神里さんは、あえて、玉砕するのだ。

    面白いとは思うけれど、やっぱり、納得できない部分がある。それは、神里さんが、『三月の5日間』を、その書かれている内容の部分を、観客が、知っていることを前提として、雑に扱っているからだ。自分があえて誤読した、作品中のごく一部以外の文脈を、存在しないもののように、ほとんど無視。これでは、チェルフィッチュ版や、演劇業界の流れを知らないと、まるでついていけないと思う。ローカルな土地が、ローカルな業界と、重なってしまっているのだ。なんというか、業界の有名なおもちゃで、自分勝手に遊ぶ、演劇ファンの、内輪受けのように感じてしまった。

    オリジナルの『三月の5日間』という作品は、まったく演劇を知らない人を、取り込むだけの、射程の広さがあった。けれども、今回の演出は、観客を、舞台の外へ追い出しておきながら、実は、演劇業界の内側だけしか、みていないように、思った。道行く人の、冷ややかな視線が、全てを物語っていたのかも。渋谷は、東京を、日本を、象徴することができたけれど、残念ながら、新百合ケ丘は、こういうやり方では、演劇業界の狭さを象徴することしかできなかった。

    『三月の5日間』は、ネタでしかない。権威ある作品を、ネタにすることで、批評となっている、というわけでもない。ただ、自分のやりたいことを、ネタを使って、やっているのだ。それなら、オリジナル作品で、勝負して欲しかった。『三月の5日間』を、きっかけとして、その中でネタにしたりして。今回は、メジャーな、他人の作品を選ぶことで、逆に、内輪感が出てしまって、輪郭が、ぼやけてしまっていると、そう、思った。

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    2008/07/28 04:35

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