休憩室 公演情報 弘前劇場「休憩室」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    90年代を振り返る、「静か」な目
    97年初演。おそらく、大きな改変は行われていないと思う。

    90年代日本演劇の、大きな流れのひとつとして、平田オリザさんや長谷川孝治さんが代表とされる、いわゆる「静かな演劇」が、ある。僕は、リアルタイムでそれらを観ていないけれど、今回、「静かな演劇」というのは、90年代という時代と、非常に密接にシンクロしていたのだな、と実感した。

    11月に新作を発表するらしい弘前劇場が、この作品を今、再演したのも、一度、90年代を振り返って、乗り越えるためなのではないかな、と思う。

    それにしても、空いていた……。カメラが入って、長谷川さんのインタビューなんかも撮ってたので、NHKかなんかでやるのかな。

    ネタバレBOX

    97年、僕はまだ10代で、引きこもりの気配を引きずりながら、定時制の高校に通い始めていた。ここにあるのは、あの頃の空気そのままだ。

    舞台は、高校の職員室の、ある日の定点観測。どうということのない一日。ただ、2年生が修学旅行に行っていて、どこか、のんびりしている。交わされるのは、奥さんや旦那さんの話とか、健康診断の結果がどうとか、そんな普通の会話。大きな出来事は、起こりそうで、何も起こらない。

    それなのに、普通の会話の向こうに、次第に、なにか、積み重なったものが見えてくる。具体的な話は出て来ないのだけれど、先生たちの、生徒たちの、見ている世界だとか、悩んでいることがらだとかが、見えてくるのだ。そして、彼らが、お互い、観客と同じく、相手のことを感じていながら、それを表に出さないようにしていることも、見えてくるのである。舞台上からは見えない「休憩室」がタイトルである意味も、ここにあるのだ。

    これが、まさに、90年代だ、と思った。そして、当時の、一番ソリッドな形の「静かな演劇」というのは、そのような、90年代的な態度で世界を切り取るという、演劇的な手法なのだな、と思った。

    つまり、90年代は、「静かな時代」(というか、「静かさ」を選びとる時代?)だったのかな、と、思った。「休憩室」を観て、僕は、なんだか、受け身な感じを覚えた。積極的なアクションは、何かを傷つける、だから、避ける。アクションを、「避ける」という行為を、選択する時代だと、思った。引きこもりに象徴されるような、僕の実感した90年代が、そのままあった。それは、10年以上たった今とは、明らかに違う空気感。きっと、その、今との差を、提示しているのだ、と思った。

    今作は、「今」そのものを表現していない。でも、先へ先へと進む時代を見つめるために、10年前の空気を見ておくことは、「今」を見る、角度を変えてくれると、思った。この作品を観て、今の先端を走る劇作家たちの作品たちが、また、別の角度から見えてきたように、僕は、感じた。

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    2008/07/26 02:30

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