床ずれと耳かき 公演情報 明治大学演劇研究部「床ずれと耳かき」の観てきた!クチコミとコメント

  • 一人称 大帝が 求めた「耳かき」
    太ももに身を委ね、「耳かき」をしてもらう行為は「至福の幸せTOP10」にランクインする。

    膝枕は建前上 「必要」だからである。対面式は固定ができず、繊細な内耳を傷つけてしまう。


    さて、明治大学演劇研究会による公演は何度も観劇しているが、役者のスローテンポな台詞は「遊び心」だ。
    おそらく塚田圭太あたりは今後の演劇界を背負う人物だと思う。男子大学生の「可愛さ」なるものを客席との一対一で伝え、小説における一人称の支配を確立してしまった。

    この「可愛さ」はアドリブではない。時間消化をもたついたようにも解釈できるが、脳内電子計算機を活用した上の演技である。



    自宅の敷布団で、「耳かき」の出張サービスを待機する男子大学生・竹内(塚田 )は、「退屈」を身体性から感じ取ることが可能だった。彼は開場中30分間、ずっと その布団で眠りにつくわけだが、「金縛り」に伴う影響があったとはいえ、疲れ、ぎこちない肉体は魂の欲求不満である。

    そういえば、「耳かき」という好奇心も それは肉体的欲望なんかじゃなかった。「退屈」な日常生活からの崖を、インターネットに委ねたのだ。まるで膝枕に身を委ねるように。


    推測だが、脚本・演出 川越太郎は「共同生活」への好奇心が強いのではないか。一人暮らしをする男子大学生が 外部の人間と衣食住をともにする。これは「耳かき」や「宇宙人飛来」と同程度の「好奇心」だったのかもしれない。

    ネタバレBOX

    「宇宙人対策センター」が偽物か、本物かはメッセージ性に深くかかわるコンセプトである。イデオロジストの男子大学生・竹内が自ら その「好奇心」を味わい、「退屈」から抜け出したかった、そう解釈できる終幕だったからだ。もはや妄想を実現する駒である。



    脚本を とやかく述べる以前に、キャスト陣が魅力溢れ、役者的好感度を抱いてしまった自分がいた。(脚本は さすが である)
    藤崎景 (役_金目鯛)の「空気を読めない」をディフォルト化する演技も、卓球玉のように舞台局所に命中する力があった。

    松平陽子(役_橋原)は、幅広い役柄をこなす役者だと思った。今度はバブリーな色気である。雑誌記者役は明らかに空間を補完し、「こっち側の住民」論争をコメディへと深化させた。


    スローテンポな台詞は「遊び心」である。しかし、これは「哲学」を兼ねており、表現手段が「ゆとり」を持ち始めたことが その「遊び心」を形成したのではないか。

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    2014/04/20 22:47

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