ぬれぎぬ 公演情報 アマヤドリ「ぬれぎぬ」の観たい!クチコミとコメント

  • 期待度♪♪♪♪♪

    カラダ、躍動






    その身体観は、広田淳一氏のいう「秩序だてられたカオス」である。


    Shakespeareが400年前に戯曲化した「ポリティカル」「ラブ」が人類的普遍だとすれば、まさしく『アマヤドリ』は継承者だろう。


    劇場に響くキャストの「足音」が、観客の身体を一定のリズムで揺らす。
    身を任せているのは、肉体ではなく、彼らの「思想」である。


    私は、『うれしい悲鳴』を2013年ベスト10に数えるべき、現代演劇の秀才だった明らかにしている。



    広田氏の「世界観」、それは、ダイナミズムだろう。
    ただ、「さて、ロングランである。シアター風姿花伝さまのご厚意で約一ヶ月もの長きに渡って本番を打てることになった。フリーパスなんてものも用意したからぜひ一度と言わず何度でも来てやって欲しい。俳優たちもまた、関係の中でしか俳優ではいられない存在なのだから。」と分析するように、彼らは「関係」を大切に扱い、多数決の因数分解=一致点をヒューマニズムに要求しているように思う。



    テレビドラマ『水戸黄門』に代表される日本の「勧善懲悪」は 想像力の欠如である。

    むしろ、ハリウッド映画『スパイダーマン』(SONY)シリーズ3部作の方が、「善とは何か?」をCGよりリアルに伝えている。


    この差違は「迷い」だろう。



    『アマヤドリ』は「考える劇団」だ。

    「考えない日本」だからこそ、私たちは晴天の日であったとしても、この劇団に「アマヤドリ」するのかもしれない。



    結局のところヒューマニズムは全体主義との戦い だ。『うれしい悲鳴』でも、「日本人らしさ」「政治劇」「ヒューマニズム」の三点セットから解説させて頂いたが、反個人の政治思想は「尊重・尊厳」が ない。


    毎回、大平洋のような巨大政治劇である。そのシステムが、人と人の ちょっとした「対立」、ひとりの男の「策略」、カップルの「恋愛」で、いとも簡単に崩れ落ちる二時間を、何度も観てきた。


    『NHK東京児童合唱団』定期演奏会にも、現代ダンスは編入されたが、身体観は子供の特権ではない。

    彼らの「地響き」には、私たちの胸を熱くし、社会を 一滴 ずつ変え、大平洋を純化するパワーがある。

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    2014/03/18 01:36

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