くろねこちゃんとベージュねこちゃん 公演情報 ENBUゼミナール「くろねこちゃんとベージュねこちゃん」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    にゃこにゃ~~~~~怒るで!
     公認会計士事務所を祖父の代から経営している一家の主人が急死した。娘が、父の遺言を発見、法的には、立会資格をもつ者の居る席で開封しなければならない。事前に遺書を用意したのは仕事柄、自分が扱ってきた案件を見ているからであるか、或いは自殺か? 理屈としては後者も可能である。然し乍ら、妻は、夫の死によって精神のバランスを崩し気味である。息子は現在劇作家の道を歩んでいるが、大学を止めで飛び込んだこの道での成功は、漸く端緒に就いたばかりである。そうは言っても父も成りたかったカメラマンの道を断念して公認会計士になった経緯がある。それ故にこそ、子供達の念を活かしてやろうとしたのだろう。逆に妻はそのような夫の職業選択と冒険の自由にあくまでも抵抗、普通の生活が一番難しいという固定観念に凝り固まって、己自身をも縛り、ヒステリーを起こさせる原因ともなっていたのである。固定観念が、大した哲学も無しに適用されれば、その結果がどうなるかが分からないとは、愚かであるが作家は、この愚かさを否定的に見てはいないようだ。
     寧ろ作・演出は、夫の急死などで、妻も半分リタイアしたような状況に猫の自由奔放なイマージュを重ねたかったようだ。然し、そのような遊びに興ずることができるのはディレッタントのみであろう。猫の優美を嘆賞し、遊ぶことができるのは、この「国」で言えば、梁塵秘抄程度は読んでいるレベルの人間達である。固定観念にがんじがらめに縛られ、脱却しようともせぬような精神の持ち主に猫は似合わない。少なくとも、猫は人間程愚かでないということは、多くの大詩人、一流作家も認める所である。遊びはここまでにしておこう。
     最後に消えて仕舞う猫達が、幻影や霊的な存在として出現する為の仕掛けを作っていない。いつの間にか猫が現れメインプロットに必然的に絡まるわけでもなければ、サブプロットとしてキチンと構成されているわけでも無い。この点を改善すれば、更に面白い作品になろう。今のままでは中途半端である。

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    2014/03/06 02:56

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