注意 ケータイゲームで時間を潰す方がマシです
これほど不快な思いをするとは。
一応、招待という形であったが、入場を拒絶された。
結局、「メール担当との連絡ミス」が理由だったが、担当者は
「おかしいのはお前だろ!」と心中おっしゃりたい口調(敬語)だった。小馬鹿にされたのである。
「ですから、(この公演は、あなたの目的とは違う)『ノアノオモチャバコ』なんですよ」
その劇団の本公演を観に下北まで
やってきたのに…。悲しい。
しかし、「制作」と「役者」は別物であるという視点に立ち、ぜひ「舞台は見逃してならない」思いから説明すること5分間、やっと調査され、「連絡ミス」をお認めになった。
「だったらチケット購入すれば いいじゃんか!」
この意見も採用できない。
譲れない「筋論」が 存在する。
この一件はひとえに個人的な「人徳の欠如」に起因するため、話を移したい。
役者は「重苦しい空気」を醸し出していた。
「福島第一原発事故」は避けて通れないテーマだろう、と予期はしていたものの、そこに現れた世界はスタジオジブリ『もののけ姫』に共通するファンタジー空間である。
この劇団の新しい演劇様式は、(例えば)「会社組織」というリアリズムに則りながら、人間が裏にもつ「狂気」を身体表現で明らかにしてしまう斬新さ だ。
夕暮れを移す照明、緊迫感を優しく煽る音響、山村(工場、バス停)の閉鎖性をモチーフとする舞台セット…。
それに、岩のような ずっしりとした身体観をもった役者陣が、見事な「溶け込み」を果たしている。
スタジオジブリ宮崎駿が『もののけ姫』を描いても、どこか私たちの住む街とは違う、「外国」を感じる要因に似ている。
宮崎駿は「バブル景気に浮かれた日本人」に対する「怒り」がスタジオジブリを創設させた、と監督引退会見で語った。
その背後に讀賣新聞の影がちらつくが、「対経済社会」への通例批判が「ファンタジー」を製作する原動力となったのである。
この『燃ゆる』は、大企業が地場工場へ「業務提携」を強引に成立させる点や、工場責任者から従業員に対する「強要」など、「経済社会の負」が透ける。
ただ、登場人物の「狂気」を明らかにするならば、決して中途半端にせず、「結末」を提示する責務も あったのでは。(観覧舎『幻夜』のように、あえて解釈を任せる舞台はある)
パズル•ゲームのピースは与えるが、完成した図面を渡さないのは 間違っている。
いや、幕が降りる直前まで、観客は ひたすら待っていたのだ。
二度と この劇団を観る機会は ないだろう。