期待度♪♪♪♪
越境
このテーマは数年ほど前、この国の哲学者の間で随分話題になった概念で2~3年前には、単行本化されたジャンルでもある。内側だけでは煮詰まってきたという状況があり、新植民地主義は、現代版大航海時代をやっているわけだから、時代の要請を受けたということもあろう。従って、エッシャーの騙し絵的な要素より、もともと、不分明な部分、即ち境界域をどのように照らしてみせるか、照らし方によって見え方が異なるが、仮に、それが同一の物の別様の見え方だとしたら、そのことを証明できるか? できるとすれば、それは一つしか方法がないのかいくつもあるのか? 等々のほか当て方が対象に影響を与えるのか否かなどについても考えるべき問題なのである。長くなるから割愛するが、方向性としては、こういうことだろう。