期待度♪♪♪♪♪
単なるメロドラマに、80年代力というコンセプトを追加したい
日本人の思想として、「汚れ思想」がある。神職の衣装が真っ白なのもそうだし、潔癖性が多いのも この思想のためだろう。他方、『万葉集』を読めばわかるとおり、色恋沙汰に尽きぬ国民である。そのような土壌が備わった上で、日活ロマンポルノの『人妻団地シリーズ』ー民放の『昼ドラ』は支持され続けた。清純でなければならない「人妻」なのに、色情ゆえ汚れてしまう その姿が文化的核心をつく。
これを、80年代力と呼ぼう。一種の混合体だ。あの頃のドロドロとした、男と女の物語を舞台で再構築するのである。その条件として一つ挙げれば、現代のウーマンリブという学問用語さえ通用しなくなった「女性観」を捨て去ることだ。「男性観」もゴミ箱に入れよう。
今、現代の「女性観」「男性観」が正解であるとも限らない。そこで参考にするべきなのが、80年代力だろう。今さら『万葉集』を小学校の課題授業とするわけにはいかず、戦前を見習うわけにもいかない。とすれば、まだ多くの日本人にとって延長線上である80年代力を、もう一度 捉え直す時期なのだ。
その男女は「ドロドロ」かもしれない。しかし、決して地下水のヘドロではなく、日本人の 裏顔、すなわち「雑食文化」なのである。むしろ、それを容認する文化こそが「雑食」だろう。
今日、一定の層が間違った方向のもと、自らの定めた「汚れ」を排除しようとする。(本来の汚れ思想は否定しない)
こうした動きに対し、「雑食文化」という80年代力をアンチテーゼとして訴えなければならない。舞台化し、あくまでメロドラマというエンターテイメントを提供するそぶりを見せながら、私たちへ呼び掛ける。問われているのは観客の方だ。