議論の在り方を、議論しよう
臓器移植のための心臓を、「A」「B」どちらのドナーに移植するか市民が議論する問題作。2009年、改正臓器移植法案が可決して国民の関心事となっことを契機に舞台化され、今回の公演で三度目となる。
過去、学習院女子大学キャンパスの教室を使うスタイルを生かした、来場者と役者が円形状に座り、参加者としての臨場感を味わってもらう試みも あったらしい。三度目の舞台化では残念ながら こうした試みはみられず、〈常道〉のスタイルだった。
一言で表せば、臓器移植の問題を考える上の教科書のようなストーリーである。もちろん、娯楽性において求められた「オネエ」「ギャル」「不真面目夫」等、その登場人物達は工夫を感じられる。しかし、臓器移植先のドナーを選ぶ対立する議論や、議論の進め方そのものを問う「逸脱した形式論」を繰り広げる手法は一貫していた。実は 参加者の一人が提供者か移植ドナーの親類だったり、実は議論そのものが「テスト」だったいうような、ストーリー展開の行方で引き込む作品ではない。参加者8人のはずが、1人欠席していた冒頭シーンも、「起こりうる」を形にしたまでだった。欠席者が その後の展開に無関係だったとは。
今、社会では、脳死判定を「人の死」と定義した臓器移植の法整備が行われたため、ACジャパン(旧公共広告機構)の2013年度支援キャンペーンの下、臓器移植提供について広報活動が盛んである。今年度はタレントの安めぐみ さんが起用された。ラジオCMの内容を ご覧頂きたい。
安さん 「安めぐみです。知ってました?
保険証のウラに、もしもの時の事、書く欄があるの。」
ナレーション 「臓器提供の意思表示は、健康保険証、
運転免許証のウラで。意思表示カードやインターネットでもできます。」
安さん 「もしもの時、私の意思がわからなかったら、
大切な人を迷わせてしまうことになるから…。」
ナレーション 「家族や大切な人のために、
あなたの意思を表示してください。
提供する、しない、どちらの意思も尊重されます。」
安さん 「私はしてるよ。意思表示。」
ナレーション 「日本臓器移植ネットワークです。
ACジャパンは、この活動を支援しています。」
欧州なら臓器移植はポピュラーな考え方だろうが、日本人は消極的傾向が強い。内閣府が本年度に実施した世論調査(10月公表)によると、臓器移植提供意思表示カード、運転免許証や保険証等に意思表示をした人は12.6%だ。触れる機会の多い身分証だから、過半数の人は記述欄の存在を知っているはず。消極的考え方の多さが伺える数字だ。他にも内閣府の世論調査は興味深い結果を示す。
毎日新聞ネット版 2013年10月19日 20時49分
【 内閣府が19日発表した「臓器移植に関する世論調査」によると、脳死になった家族が臓器提供の意思表示をしていなかった場合、提供を承諾しないとした人は49.5%で、承諾するとした人の38.6%を上回った。一方で、書面で意向が示されていれば意思を尊重するとした人は87.0%と高かった。
2010年に改正臓器移植法が施行され、本人が拒否していなければ、家族の承諾で臓器提供が可能になった。しかし、提供につながるかどうかは、本人の意思表示が鍵であることを示す結果となった。厚生労働省の担当者は「提供する、しないに関わらず、意思表示はしてもらいたい」と話している。調査は法改正後初】
日本では49%の親族が脳死状態に陥った本人の意思表示がない場合、臓器移植を承諾しない立場だ。つまり、半数は「臓器移植は特別な行為」という考え方である。メディアが広報活動を拡げてもなお、自らが脳死判定を受けた際、臓器を「提供」すると答えた人は43.1%だった。実際に意思表示をした人が12.6%なのだから、「提供する」のうち、(全員「提供する」の意思表示だったとしても)7割は確立された考え方ではない。死生観などを通し、過半数の人が臓器移植へ消極的傾向を持つ。これを踏まえ、先ほどのラジオCMを確認してほしい。
「提供する、しない、どちらの意思も尊重されます。」のナレーションは、「提供する」の答えを先頭に置く。だが、日本の現状は半数の人が「本人の意思表示がなければ承諾せず」、しかも過半数が「臓器移植消極傾向」である。YES/NOの住民投票なら「提供する」が先頭にきても構わないが、国民の臓器移植へ対する意識が欧州と比べ消極的な以上、「提供しない」を先頭に置く順番が適切だろう。
臓器移植の問題は、免許証や保険証に提供の有無を記載する欄が設けられ、日常生活のなかで欠かせないテーマとなっている。気を付けなければならないのは、「提供者は善」といった構図の広報活動がとられている点だろう。「非提供は無知」では決してない。ただ、「提供者を善」と位置付けるACの広報活動を国民が見聞きすれば、非提供の意思表示をした個人であることが社会的に良くないイメージを持たれる世論を形成してしまう。これが、日本社会の「空気」だ。