満足度★★★★
未解明の謎が気になる
話を荒立てた割には結末が小粒だったような…。
明かされずじまいの謎もいくつか。
それはこの物語がまだ完結していない証か?
“この先”を予感させるようなナレーションで終わったことだし、謎の解明と物語の大団円は多分作られるであろう続編に持ち越しということなのだろう。
とはいえ、何度もハッとさせられて何度も笑った充実の105分間でした。
二組の男女の間で同じようなやり取りが別々の場所で同時になされる終盤のワンシーンではハッとすると同時にホロリともして、とにかく序幕から終幕まで、喜怒哀楽のあらゆる方向へ心が揺すぶられっ放し。
人が人と関わる上で体験する“あるある”が劇の随所でリアリティを伴って描かれているので、バルブを含む観客は否でも応でも感情移入せざるをえず、場面場面で誰かしらの登場人物に自己を投影し、劇世界をあたかも我が事のように感じながら鑑賞するのでどうしたって心が動いてしまうのだ。
とりわけ、毎度ながら“上手いなぁ”と感心してしまうのが、“傍目には親しげに見えて実はギクシャクしている人間関係”の描写。こうした人間関係も“あるある”の一つと言えるが、前作『マッチ・アップ・ポンプ』でいえば田中こなつ演じる主人公と渡邊とかげ演じる商工会議所の女事務員がまさにそんな関係にあり、最終的に2人は衝突を起こすが、今作でもある女とある女がまさにそんな間柄で、観ていて心が痒くなるようなやり取りを苦笑しながら鑑賞。
苦笑とはいえ笑いを誘われるのは、こうしたやり取りがバルブの心をいくらか軽くしてくれるからに他ならない。
『飛ぶ痛み』のアフタートークでお見かけした登米裕一さんは観客からの質問に「ご質問ありがとうございます」と必ず前置きしてから答える誠実そうな男性でルックスも良く、物腰も柔かく、同性にも異性にも好かれそうな人望の厚い人物に見受けられたが、そんな登米さんでもこのようなギクシャクした人間関係を劇に描けるほど頻繁に体験しているのだと考えると、こういう人間関係は誰でも味わっているのだ、バルブだけではないのだ、と思えてきていくらか気持ちが楽になるのだ。
こういうギクシャクした人間関係をはじめ、我々が日常よく体験するあれやこれやを劇なり映画なりで表現しようと試みる“リアリティ志向”は性悪説と手を結びやすく、“リアル”を作風とする劇団なり映画監督は人間ならびに人間世界を露悪的に描くことが多いものだが、バルブが登米さんの作品に惹かれるのは性悪説と性善説が拮抗しているような世界を登米さんが描き、多くの作品が“性善説、一歩リード”の状態で幕を閉じる点にある。
続編が予感されるとはいえ、本作も単独で捉えるならばそのような終わり方をしていたし、登米さんの作品は大抵そのような形で幕を閉じる。
それは我々の生きるこの世界が悪よりも善を余計に含んでおり、それをそのままに写し取った結果というより、“悪より善がちょっとばかり強いはずだ”という登米さんの希望的観測、ないしは願望の表れであるはず。
同じくそうだと信じたいバルブはゆえにこれからもキリンバズウカを追いかけ続ける。