毬谷友子一人芝居「弥々」 公演情報 ジェイ.クリップ「毬谷友子一人芝居「弥々」」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    圧倒的な演技力 演出も絶妙 醜さも含めた人間賛歌
    演技力に圧倒され続けた。
    それは、単にエネルギーが強い演技だったというだけではなく、
    また何役もの役を演じ別ける器用さに驚愕したというだけでもなく、
    その点も凄いのだが、それ以上に、
    人間の持つ一面的ではない複雑な感情を見事に表出していたということによる。

    その演技力に加え、光を利用した空間の把握、着替えによる時間経過の演出なども見事。

    ネタバレBOX

    人が本心と呼ぶものには、無意識の裡にも打算や計算が含まれている。その本心に基づいて、日々私たちは生活しているが、その利害のバランスが少しでも変われば、そこにある本心なるものも簡単に揺らいでしまう。

    また、それを言葉として誰彼に話す際には、話す相手へのおもねりがあったり、逆に強がりがあったりと、その本心はさらに複雑なものとなる。そして、その対話の中でさえ、やり取りの中でその本心は様々に変化する。

    このような本心の変化の中で、日々、何らかの決断をくだしながら私たちは生きている。それでも、その決断をくだす一瞬においては、その決断は最良のものであり、真実なのだと思い込んでいる。そして、その決断を信じ続ける場合もあれば、時間経過の中で、その決断は誤りだった後悔することもある。

    この物語の主人公「弥々」も、自分を取り囲む様々な状況の変化にとともに、自分の本心を変化させて生きている。
    それは、一方では、状況に自身が、その本心が、振り回されているようにも見えるが、自身を保つためにこそ本心を選び取ってもいる。

    若き日に、良寛ではなく、別の男を選んでしまったのは、おそらくその時の弥々にとっては本心であっただろう。だが、その選択の際にも、確かに良寛も良いなと思った部分があったのも事実だ。財力や地位だけの問題ではなく、その誠実さに惹かれた部分も確かにあった。三人で浜辺の小屋に泊まった際、婚姻する相手ではなく良寛の手を握って眠ったのがその証左ではある。
    それでも、ロシア行きへの希望や、退屈な良寛への不満など様々な要因が作用して、もう一人の男を選んだ。

    ただし、その際に良寛に向かってその生真面目さや退屈さを罵ったのは、本当にそれが嫌で嫌でたまらなかったのか、それとも自分の選択を間違っていないと思い込みたかったからそう振る舞ったのか、はっきりはしない。
    おそらく弥々自身も無意識に行っていることだと思う。

    後年、弥々は、状況に振り回され続ける自分を保つためにこそ、過去を、その時の本心を希望として作り変えていく。
    おそらく、若い時の弥々にとって、良寛はもっとも愛した人ではなかったであろう。上でも述べたように、そういう部分も少しはあったのかもしれないが、それはほんというに小さな気持ちだった。それでも、その気持ちの方を当時の自分の本心だったと思い込むことで、今を強く生きる原動力に変えていった。変えられない過去を悔やむのではなく、過去さえも書き換えて強く生きる。このしたたかさ。そんなことは欺瞞だという見方も一方でできるが、このしたたかさこそが、人間の強さなのではないか。キレイゴトの人間賛美ではなく、人間の醜さも含めた人間賛歌。


    そのような複雑に表面と内面が反転するような描写が、この作品にはたくさん出てくる。それは、矢代静一の筆の力であり、また、それを演じる毬谷友子の演技力のなせる技でもある。まさに、親子合作。


    演出も絶妙。
    照明による場の緊張感と空間把握の妙。

    特に浜辺の小屋でロウソクに火をつけて過ごす場面の緊張感と、それを消して眠りに入り闇へ、そこに光が舞台全体を照らしていく朝の浜辺の描写など、あっぱれ。

    衣装の変化と演じ分けによって、経年の変化を表すのもとても素晴らしかった。

    素晴らしい舞台でした。

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    2013/08/22 11:11

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