不思議の国のアリスより 公演情報 劇団パラノワール(旧Voyantroupe)「不思議の国のアリスより」の観てきた!クチコミとコメント

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    『不思議の国のアリス』
    『不思議の国のアリス』

    児童文学の世界では,挿絵は,作品の重要な一部である。作家ルイス・キャロルと,画家ジョン・テニエルは,歴史的な出会いであった。さらに,1832年生まれのキャロルは,1852年生まれのアリス・リデルと運命的な出会いをしている。オックスフォード大学の寮に,リデル一家がやって来た。当時,次女のアリスは,三歳であった。キャロルの趣味は,写真だった。レンズを通して,キャロルとアリスは見つめあった。そして,キャロルは,アリスの心をつかんだ。キャロルとアリスの出会いから,約160年が過ぎた。

    テニエルが描いた美少女,実際には栗色のショート・カットであったが,金髪の美少女になっている。テニエルは,パンチ誌に勤務しながら,生涯38冊の本の挿絵を描いた。29歳のとき結婚したが,二年後に愛妻に先立たれた。師であり友であるジョン・リーチは,『クリスマス・キャロル』(ディケンズ)の挿絵画家である。テニエル(1820-1914)は,『船長の降船』で,プロイセン宰相のビスマルクを描いている。普仏戦争に勝利し,1871年ドイツは統一された。1890年皇帝ヴィルヘルム二世によって,ビスマルクは辞職に追い込まれる。そのときの風景である。テニエルは,20歳のとき,事故で左目を失明している。キャロルとの共同作業は,二作。アリスの中に出て来る白ウサギ,それは,どこかで一度は見ているようなイメージがある。ヴィクトリア朝時代,テニエルの挿絵で,アリスに親しみを覚えた。懐かしい気持ちになれたのだ。

    『アリス』に人気が出て,キャロルは,劇化したいと思うようになった。挿絵も,当初自分で手がけようとしていたので,自分で脚本は書きたい。舞台装置も決め,俳優を選び,音楽などの演出もしたかった。キャロル自身,芝居好きであった。未完成ながら,四幕ものを手がけたこともあった。舞台上でアリスを見たいというキャロルの夢は,容易に実現できなかった。ここで,劇作家・演出家,サヴィル・クラークは,『アリス』を劇化しようとキャロルに提案する。キャロルは,これを受入れ,共同で舞台版『アリス』を作る。これは,1886年に上演された。キャロル自身は,二度上演を目にした後,亡くなっている。この演劇は,18回上演された後,衰退する。演劇としての『アリス』には,どのような問題があったのだろうか。

    クラークは,子どもだけで上演したかったが,キャロルは,演技力のある大人をその中に入れるべきであると考えた。9歳下の,マイナーな劇作家に,キャロルは多くの意見を言ったが,演劇において自分はしろうとであるとの自覚はあった。初年度は好評であったが,その後は下火になっていく。キャロルは,演劇においても,もう少し言うべきは言わないといけなかった。

    プリンス・オブ・ウェールズ劇場の幕があがる。妖精たちは,アリスを不思議の国に呼び起こす。わきでイモムシがパイプを吸う。白ウサギが,舞台を横切る。声をかけた白ウサギに,アリスは無視される。アリスは,チェシャ猫と踊り,歌う。そこに,帽子屋と,三月ウサギと,ネムリネズミがテーブルを用意する。帽子屋は悪いやつ。帽子屋は気違いだ。そのとおりさ。そのとおり。トランプたちが,入場する。女王は,チェシャ猫を処刑せよと言う。ハートのジャックには,罪はない。当時,『アリス』は子どものファンタジーに思われていた。その後,あらゆる大人の心をときめかすナンセンスの傑作となっていく。

    挿絵画家テニエルは,『アリス』の持つ魅力を倍増した。これに対し,劇作家サヴィル・クラークはあまり評価されていない。キャロルのアドバイスでは,二作を融合させるのは至難であった。サヴィル・クラークは,凡人だったので,これに失敗した。後に続く者たちは,二作を上手に融合させている。一貫したストーリーはない『アリス』では,むしろ大胆な発想ができる。むしろ奇抜な場面を楽しむべきなのだ。常に新しいものを求めることこそ,『アリス』なのだ。芝居は,常に刷新されるべきものだ。芝居そのものを残すのでなく,人々の記憶に残る作品を作りたい。『アリス』の舞台化に失敗したサヴィル・クラークは,52歳で亡くなっている。1898年,サヴィル・クラークの『アリス』は,ミュージカルではなく,オペラとなった。

    チャールズ・ラトウィッジ・ドットソン(1832-1898)は,牧師の息子だった。兄弟は全部で11人いて,彼が長男であった。11歳のとき,ダーズベリから,クロフトに移住している。母親は,47歳で亡くなっている。1868年には,牧師である父親が急逝している。児童文学としては,『不思議の国のアリス』は,まさに不思議な物語である。兄弟もいないし,友達を見つけようともしない。感銘する大人も出て来ない。冒険により,成長する主人の姿も見えない。ただ,ただ,アリスは誇り高い。キャロルの作品は,どういう出発点から生まれたのだろうか。

    アリスは,未知の国に一人で迷いこむ。私はだれなの?お前はだれ?大きさが変わることは,別人になることなのか,否か。アイデンティティとは何か。イモムシの変態,身体が少しくらい変わっても,別人にはならない。自分がだれかは,自分ではなく,相手が決めるもの。ここにいるものは,みんな狂っている。おまえもだ。自己のアイデンティティの決定権をほぼ完全に他人にゆだねる。我慢ならない不条理の世界に,アリスは投げ込まれる。ひとびとが疑いを持たない地位・身分なんて,脆いものなのだ。背景がちがえば,価値などないのだ。

    キャロルは,成長するにつれて,リデル家と,アリスと切り離されていく。キャロルとリデル家は,もともと住む世界がちがったのだ。横柄で冷酷な女王,人がいいだけの愚鈍な王,彼らのキャラクターは,実在したのだ。アリスを愛するキャロルから,遠ざけた無粋な大人たち。『アリス』作品中に出て来るのは,おかしげな大人の影,理解されないキャロル自身が批判的に感じた価値観だ。しかし,気位の高さ,と使命感に燃えるアリスは美しい。アリスのアリスらしいところは,自分を信じる勇気ある子どもであることだ。

    参考文献:出会いの国のアリス(楠本君恵)

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    2013/08/06 19:59

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