刹那 公演情報 劇26.25団「刹那」の観てきた!クチコミとコメント

  • 『チョコレートケーキ』の再来か


    地下へ辿り着くと、昭和が漂っていた。

    正確には「LINE」や「Twitter」なる単語が聴こえるため、時代設定は リアルタイムなはずである。

    Yシャツを着た男の寂しげな背中が、氷の混ざり合う「カランコロン」が、そしてビール瓶を片手にする女が、単語を出さずして『昭和』を語っている。

    5年前、バスを運転中、衝突事故を起こした初老の男には、一人の娘がいた。男と娘、結婚を約束するサラリーマンの三者を、さゆり”なる魅惑的な女性は振り回す。
    昭和 漂う中、「ドラマ」進む。

    これほど、ギャラリー公演の構造を捉えた舞台も少ないのではないか。
    解説を するまでもない。
    それは、ストッポライトの当たらない端切れの箇所であっても、ギャラリー全体として「世界」を共有できる点にある。

    例えば、舞台横にあたる客席へ大きなピアノを設置し、窓のカーテンまで 降ろす。
    私たちは、誇張や、パフォーマンスのみを「共有」したいのではない。みな、ショーだからである。

    「共有」するものは、路地裏を歩く白髪の老人かもしれない。
    または、家庭内に染み付く、独自の臭いなのかもしれない。

    ギャラリー公演の目線は、役者と対等である。まるで、喫茶店のカフェで別れ話を煮え繰り返すカップルの、隣のテーブルに座る感覚だろう。
    彼氏の怒りさえ焙煎する そのコーヒーから湯気とブレンド豆の臭いが 放たれる。
    今作は それが昭和の香りであり、つまり、私たちは 昭和を「共有」したのである。

    「白熱電球」の力を、改めて感じた。

    酒の席では、暖色系の白熱電球が灯る。部屋の中は、寒色の それが灯るのだ。

    一つひとつのシーンが切り替わるごとに、糸は引かれて、今度はうす暗さ が灯る。

    世の中から断然された父と娘を浮き彫りにしたのは、寒色系の白熱電球であった。その球は日常生活を“ライト アップ”しない。


    近年、ギャラリー公演を機に知られることとなった劇団として、私は『劇団チョコレートケーキ』の存在を挙げたいと思う。
    2012年、渋谷ギャラリー•ルデコで第二次世界大戦前のドイツを描いた『熱狂』『あの日の記憶』を発表し、骨太の社会派劇団の噂を吹かせた。

    もしかすると、この劇団こそ、次の『チョコレートケーキ』ではないか。
    社会派のラベルを貼ることはできない。
    しかし、牛乳パックも困ってしまうほどの骨太である。

































    0

    2013/08/01 23:24

    0

    0

このページのQRコードです。

拡大