世界的文学への『ダブル改編』
『宝島』は、どこに在るのか。
今、あった。
劇場という、大海に。
『宝島』ーといえば、私はアニメーションを思い起こす。毎週 欠かさず観ていたのだから間違いない。
現代的ダンスや、幻想世界を造り出す照明を用いる舞台において意外かもしれないが、かなり『宝島』を忠実に 追っていたと思う。
『宝島』と『ピーターパン』の融合は、独自の物語である。
切り替えを高頻度で行うと、観客は混乱する可能性が あった。また、いずれの作品も 長編ストーリーのため、中途半端になることも考えられる。
だが、私が観た限りにおいて、当然のことながら『改編』はされているものの、基本的ストーリーに則った構成だった。
「フック船長」と「ピーターパン」の評価が変わってしまう、そんな構成でもある。
「ピーターパン•シンドローム」なる言葉が社会に根付くなか、“大人こそピーターパン•シンドローム”の当人であり、近年、急速に陥ってしまっていることを示してくれた。
今作は、「ピーターパン」を善良な少年として描いてはいない。むしろ、ティンカーベルを奪われたために抱く感情を基盤とし、その後の「フック船長」との対決の結果も変わっている。
文楽研究の権威•ドナルド•キーン早稲田大学名誉博士の言葉を借りれば、「『改編』は、つまらなくする。『原本』の方が、ほとんどおもしろい」そうだ。
文楽と違い、今回舞台化されたのは青少年向け冒険小説の代表作ではある。かつて『改編』されたことは聴いたことがない。その通り上演する、映像化することが、古典へ対するオマージュだろう。
物語の結末を変えたどころか、二つの代表作を融合させ、現代的な演出方法まで取り入れた今作は 90%の「つまらない」か、10%の「おもしろい」部類かの問題ということになる。
客席を 真っ二つにした、船形の造りは モチーフとして適切だった。
中央の舞台が やや高い位置にあり、たとえば行き場がないことで関係性が生まれる『宝島』航海中のシーンで絶大な効果を発揮した。
一方、全体を見渡すと、ダイナミクスに乏しかった。
『宝島』の土埃の雰囲気、歩き疲れた感覚が伝わらない。
上陸後を割愛し過ぎたのは恐らく事実なのだろう。それは残念である。