満足度★★★★
子供のためのシェークスピアカンパニー『ジュリアス・シーザー』を観る。
子供のためのシェークスピアカンパニー『ジュリアス・シーザー』を観る。
『ジュリアス・シーザー』は,前半を終わる頃,あっけなく殺害されてしまう。主人公であって,『オリバー・ツイスト』も後半ほとんどで出来ない展開もあるが,シーザーはこれとは少しちがう。まず,彼の,「遺言」に民衆が振り回される。その意味で,死んでもしばらくシーザーは生きている。
さらに,驚くのは,マクベスで良心の呵責があったように,謀反人たちは,シーザーの呪いに負けて,相次いで自害していくのだ。だから,このように,亡霊としてのシーザーは最終決戦の場面でも十分生きていた,よみがえっていたのである。そういう風に考えても良いことになる。
『ジュリアス・シーザー』は,1599年に書かれた。その後,『ハムレット』を書いている。作品そのものは,プルターク『英雄伝』を参考にしている。プルタークのものを劇化したが,その手腕がすごかったことになる。おまえもか,は,プルタークにはなく,ほかから取っている。
この演劇では,印象的だった場面がひとつあった。それは,権力の座にすわると,あわれみというものを人は忘れる,ということばだった。そこで,シーザーは,最初謙虚な人でもあったが,野心家は,謙虚さを最初装っているにすぎないのだと言い切る。一皮むけば,野心家は,暴虐非道に走る人なのだと。
『ジュリアス・シーザー』これも,また,サラリーマンの話かもしれない。シーザーは,ずっとがんばっていた。ローマが大好きで,ローマのことを考えていた。しかし,そこで生き残るのはなかなかたいへんだ。
職場には,ポンペウスもいて,グラッススもいて,シーザーを加えて,元老院がこれをあやつる。いいか俺たちのことを良くきけよ。悪いようにはしないから。シーザーは,これに騙されて,執政官になり,ガリアで名をあげる。すると,元老院たちは,これを快く思わないのだ。彼の,名声,人望が気にいらないのだ。やっちまえ!
というわけで,元老院たちは,シーザーに立ち向かうがこの時彼は,これを破りローマに凱旋してしまうのだ。ここから,物語はくすぶる。こりゃいかん,普通にやっては,負ける。汚い手を使うしかない。キャシアスを呼べ,ブルータスも引きずりこめ。あることないこと,言い立てて,シーザーをつぶすのだ。それが,ローマのためとか,共和制のためとかどっちでもいいのだが。
話は,まとまった。彼は,元老院が自分ほどローマに尽くした人間に毒を飲ますとは思っていない。共和制から,ローマ繁栄のためには,独裁・王政に復帰する必要がある。帝国主義になって,周囲を食うか,周囲に食われるか,そういう問題なのだ。自分が策謀に陥ってもなんの意味もない。次の,オクタヴィアヌスが待っている。ようし,暗殺でもなんでもやってみろ!悪霊となって,おまえたちを呪ってやろう。
私には,シェークスピアの声が聞こえる。確かに,集団で,人を陥れることはできるかもしれない。しかし,それに,卑怯な手を使うのであれば,それはまちがっているのだ。そのことは,自ら十分に学ばないといけない。もはや,職場の先輩・同僚は,上手にほおむりさったかもしれない。しかし,残ったのは,空しさである。次は,自分自身が,歴史から消えるのだ。