千年マチコ 公演情報 アリー・エンターテイメント「千年マチコ」の観てきた!クチコミとコメント

  • これほど続編を切望させる作品も珍しい



    続編が見たくて仕方がない。

    当て書きが、見事なバランスを生む。

    話さない肉体、表情にこそ、言葉がある。


    突き刺さるメッセージと、ほのぼのとした銭湯ドラマ。

    今日、改めて湯船に浸かりたくなった。

    ネタバレBOX



    一言でいえば、これほど「続編」を期待させる作品も少ないなと思った。

    主人公であるマチコは、明らかに『火の鳥』とダブる。

    生まれは2000年以上昔、スマートフォンを操る現代まで「子孫を巡る旅」を続ける30代とおぼしき女性だ。

    老獪でもなく、老婆のような口調でもない。だが、見た目通りの30代の女性でもない。人間は案外、長い月日が経つと、下ネタも厭わないオープンな存在へと至るのだろう。


    「銭湯」をテーマとし、日本の地域社会における交流を唱える、メッセージ性のある舞台だった。
    日本は明治時代まで「混浴」制度が当たり前で、男女とも全裸だった。一方、「銭湯」と称する店のなかには、男性客をサービスする女郎が1名 待機しており、事実上の「風俗」の機能を持ち合わせていたことが判明している。

    「混浴」制度は、最近では落語家の月亭可丁 氏が選挙出馬の公約として世に問うた。「壁を取り払う」と訴えたが、結果は落選。

    そもそも、日本の伝統的な「銭湯」の在り方の一つとして「風俗」の要素があった以上、いくら地域の交流を訴えたところで有権者には響かない。個人的に反対ではないが、この国の人々は「本音ベース」を嫌う。


    では、これからの日本に「銭湯」は いらないのか。


    私は、地域コミュニティの中核として、大いに存在意義はあるし、世代間交流を促す施設だと考える。

    舞台で描かれた「団塊の世代」と、青年のバトル、そして対話の様子は、まさに 「銭湯」の持つ社会的コミュニティ機能を具体化したものである。

    近年、日本人は 地域コミュニティといった共同体ではなく、より利害関係の中で生活する傾向が強いのではないか。

    「うちの子が人様に迷惑を掛けないか」

    から、


    「人様がうちの子に迷惑を掛けないか」

    に変わってしまった。


    『地域』は、民生委員、退職後の高齢者、主婦だけの所有物か。
    いや、多種多様な人々が暮らす、パブリックなコミュニティ•スペースでなければならない。
    そうした観点に立てば、「銭湯」は 仕事帰りに入る客もいる、日課で入りに来る客もいる、多種多様な人々が集まる施設であるはずだ。つまり、『地域』の代表を自称する人々よりも、「銭湯」の方がパブリックなコミュニティ•スペースを提供しているわけだから、後者こそ『地域』に他ならないのではないか。

    先の大戦では、大日本国防婦人会が戦時総力体制に一役買ったが、政府が設立した組織ではなかった。「下から」造られた組織であって、あくまで加入は各世代に任せられたものの、実に9割を超える主婦が参加した。

    私は、『地域』の組織=町内会を否定するわけではない。
    地方の町内会は組織率が依然として高いため、そこに民意は保証され、『地域』を自称する正当性もある。
    問題は、都市部だ。

    とっとり総研 宮谷正信 常務利治は、次のような論を提示する。



    「昨今、自治会(町内会)に加入せず、ある いは自治会から脱退する住民(世帯)が多く
    なっていると聞
    く。


    〜中略〜



    たいどれくらいの住民が自治会に加入してい ないのであろうか。鳥取市自治連合会では、 自治会加入者は約4万1千世帯としている
    (平成14年4月時点)。その時点の鳥取市の総 世帯数は約5万6千であるので、未加入率は 約27%。おおよそ4世帯に1世帯が自治会に 加入していないことになる。
    鳥取市のこの未加入率、私の想像を上回る 高い数字であった。そこで米子市に聞いてみ ると鳥取市とほぼ同じ未加入率であった。な らば東京、大阪周辺の市では鳥取市以上の高 い未加入率であろうと、いくつかの市に問い 合わせた。確かにそれらの市の多くは鳥取市 より未加入率が高い。50%近いところもある。 だが、神戸市は約23%と鳥取市よりやや低く、 横浜市は約12%とさらに低い。私の推測は必 ずしも当たらなかったが、都市部においては 自治会未加入率が相当高い」


    組織率が50%を下回る町内会に、『地域』を自称する 資格はない。半数以上の住民が一切、加入しない町内会は、民意を保証しておらず、実体としては高齢者、主婦の溜まり場と化す現状だろう。


    霞ヶ関は批判できるが、地域組織を批判できる人間は ほとんどいない。

    ベンチャー企業「石巻2.0」を立ち上げた松村豪太氏は その数少ない一人である。

    起業の背景を、東洋経済オンライン(2013.3.23)から引用したい。



    「人々は、いつしか郊外の大型ショッピングセンターに買い物に行くようになり、町中は空洞化してシャッター街と化す。若者はさびれた街に嫌気がさして都会に出る。これは地方が持つ共通の問題だ。この根本を変えなければ、過疎化に歯止めはかからない。大震災でかぶった「ヘドロ」を除去して建物を元通りに直しても、問題は解決しないのだ。

    「旧市街地を元気にするのが重要だ」

    「街の再生の道筋を作れば、それが他の地方都市の未来にもつながる」

    「元に戻すのではなく、風通しのよい新しい街に変えることが重要だ」

    このような共通の思いから設立された団体が石巻2.0である。ちなみに2.0という名称には、従来からのバージョンアップの他に、一時期もてはやされた「web 2.0」と同じく、「双方向性を備えた=風通しがいい」という意味が込められている」


    そして、本人のメッセージである。



    「―結果として良い発見も、良い関係も出来ましたね。

    はい。あと今まで気づいていなかったことがまだあって、行政や商工会議所の中にもやはり我々と同じような想いを持っている熱い方がいたんです。やはり、自分達だけでやってしまうのではもったいないと思うんですよね。



    ―これからどうなって行くのでしょうか?

    ここから数年は、復興需要で物が売れたりすると思うんです。ただ、震災前から石巻の人口は減っていて、合併後2万人近く既に減っているんです。この先も流出は進むでしょうから…パイがどんどん減っていくのは間違いないんですね。その中でコストをかけて建物やお店を再建するっていうのは勇気のいることなんです。なんとか住める状態でも、今なら行政のお金で壊すのはタダですよっていう提案があるとみんな乗っかってしまって、毎日1戸以上建物が消えて、空き地がどんどん増えているんです。でも、そうやって出来た空き地の次のアイデアっていうのはハッキリ言って持っていないですね。だから、どんどん塩漬けの土地が増えて、街がどんどん死んでいく危険が切迫しているんですよ」(みちのく仕事)



    松村氏は シンポジウムなどの機会に市の商工課、商店街組合の閉鎖性を批判している。


    彼は、石巻の復興を考える第一人者であるが、『地域』を自称する人々の一部は圧力で抗する。


    だが、やはり地域に携わる同士、組織に加入するか、しないか、ではなく供に地域を盛り上げなくてはならないのではないか。
    そして、それは町内会にも通用する。もう一度言う。『地域』は、民生委員や、退職後の高齢者、主婦だけのために あるのではない。みんな のコミュニティ•スペースであり、歴史、文化を体現するパブリックな場所、存在である。


    「銭湯」は、裸の付き合いから生まれるコミュニティ•スペースだけではない。
    多種多様な客がいるからこそ、多角的な物の捉え方を身に付けることができる。
    そうした お湯に浸かる家族に、
    「人様がうちの子に迷惑を掛けないか」などという日本人として情けない思想を有した愚か者はいないと思う。




















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    2013/06/27 23:45

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