期待度♪♪♪♪
物語に大きい小さいがあるのか?
むしろ物語であるものとそうでないものとがあるだけなのではないか? そもそも、大きい小さいなどというのは相対的な概念だろう。天下国家を語らないということが小さいのだとしたら、天下国家自体を大きなもの・概念と考えているのだろうが、少なくとも現在我々が住んでいるのは、国と言える代物か? アメ公がでかい声でジャップと吐き捨て、好き勝手な行動をとる。注意すれば凄む、或いは、問題を起こしたくないと抜かす。それで、クリスマスシーズンにNY辺りに行けばイエローキャブと言われて喜んでアメ公の腕にぶら下がっているのが居る。政治屋は、単なる御用聞きだろう。軍でも、それぞれの組織で同じ階級にある場合、指揮権は常にアメリカが取る。そして、この「国」の軍人は、一階級下という位置づけに甘んじて唯唯諾諾と従っているのだ。これは、植民地軍と同等である。こういうことを語らないことが、小さいのか?