国家~偽伝、桓武と最澄とその時代~ 公演情報 アロッタファジャイナ「国家~偽伝、桓武と最澄とその時代~」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    舞台に観客を繋ぐ力に圧倒されつつ・・
    入り口で上演時間の掲示を見たときには、
    少々くらっとはきましたが、
    むしろ、観終わって、その時間を全く感じることなく
    物語に閉じ込められていた
    自分にびっくりしました。

    なにか作り手の魔力を感じる作品ではありました。
    ただ、作り手の作意には、
    観る側が感じる以上の奥行きがあるようにも思えました。

    ネタバレBOX

    入場すみると
    四方を客席に囲まれた舞台の新国立(小)の空間はとても広く感じられて、
    でも物語が語られはじめると、
    その広さだから観る側が受け取りうる空気があって。
    舞台に留まらず客席までが取り込まれても、
    印象が散漫になることなく、
    いにしえのこの国の物語がつづられていきます。

    3時間を超える舞台ではあっても、
    登場人物の歩むベクトルがぶれない。
    また、観る側が置かれる視座も安定していて、
    うろ覚えの長岡京遷都の歴史や、
    密教文化の話、
    それらが舞台上でしっかりした骨格に組みあがり
    観る側にそのなりゆきを追わせてくれる。

    シーンの繫がりも流れるようで秀逸、
    一つのエピソードにオーバーラップするように
    他のシーンが描き込まれ、
    舞台が観る側を手放さないのです。

    歴史の刹那に、
    事象が端正に描かれつつ、
    関わった人や事象の裏地が
    温度をもって作りこまれていく。
    表層の顛末が、人物の想いに支えられ、
    その想いも、ベタに語られるのではなく
    しなやかに切り出され、
    役者たちが醸す色に染められて
    観る側に供されて。

    シーンごとの空気や、
    人物を紡ぎ出す解像度には
    多少のばらつきはありつつも、
    ロールを世界に置き、観る側に運ぶ力は担保されていて、
    役者たちがそれぞれにもつ演技の切先が、
    キャラクターの個性となって際立ち
    史実にたいしての因果や、
    時代の肌触りを作り出していく。
    舞台を編む一人ずつが空間の広さにしなやかに喰らいつき、
    自らのもつ引き出しをしっかりと使っていることで、
    シーンのベクトルが少々ばらけても、
    それをさらに束ねる力が舞台に生まれ、
    全く見飽きることなく、
    もっといえば、歴史の流れを台詞にとどまらない、肌で感じるもので追い続けることができる。
    3時間を超える舞台を休憩なく、
    また、暗転すら極力排して描き出していく、
    作り手の手法がしっかりと支えられ功を奏して。
    歴史エンタティメントとしてこの舞台を観たとき、
    そのクオリティは十分すぎるほどで、
    ベタな言い方ですがほんとうにおもしろかったです。

    ただ、観終わって、
    作り手が本当に舞台に描きたかったものは
    史実の肌触りに留まらない、
    そこを踏み台にして描かれる、時代の変革のあからさまなありようや、
    それを貫く人物たちが内包するものの普遍性であったような気もして。
    もしそうだとすれば、
    作品のフォーカスや、シーンの重ね方は
    よしんば、最後に現代から歴史の俯瞰を織り込まれたとしても、
    作品から作り手の意図を何となく感じる以上の、
    作品のなかでシーンを束ねての
    観る側を支配する切先にまでは
    作りきれていなかったように思えるのです。

    その時代を描き込む作り手や役者の秀逸に
    垣間見える作意がさらに細かく繫がれば、
    作品は、作り手の意思とともに、もっと深く、
    観る側に入り込んでくるようにも感じたことでした。

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    2013/04/07 11:01

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