あわれ彼女は娼婦 公演情報 演劇集団円「あわれ彼女は娼婦」の観たい!クチコミとコメント

  • 期待度♪♪

    特殊な作品だと思うのですが。
    演劇集団円(まどか)の歴史

    浅草で,チェーホフ『三人姉妹』を一度だけ観たことがあった。あいにく,橋爪功はいなかった。でも,なかなか格調の高い演劇だった。はて,この劇団は,どのような歴史があるのだろうか。

    小山内薫は,1924年(T.13.) ,土方与志と共に築地小劇場を創設する。築地小劇場は,はチェーホフなどの翻訳劇を中心に新劇運動の拠点となる。

    俳優座,文学座,民芸は『三大新劇団』といわれる。築地小劇場では,内部分裂がおき,残留組から,1932年(S.7.)築地座ができ,1937年には,明治大学文藝科教授で顧問の,岸田 國士が,新たに文学座を創設した。文学座は,演劇活動に政治性を持ち込むことを最も嫌った団体。

    1963年,芥川比呂志ほか「文学座」の中堅・若手劇団員は文学座に退団届を提出し,評論家の福田恆存と,財団法人「現代演劇協会」を設立。1975年,芥川以下,仲谷昇,岸田今日子ら「劇団雲」の俳優が現代演劇協会に退会届を提出。「演劇集団 円」結成。現在の代表は橋爪功。

    ちなみに,2012.10.26.には,初めて参戦。

    演劇集団 円の,『三人姉妹』を観た。この作品は,1940年に,ネミロヴィチの演出で再演されている。芸術座をともに創始したスタニスラフスキーは,亡くなっていた。メイエルホリド(かもめで,コースチャだった)は,殺害されている。今回,上野での『かもめ』と,少しちがった『三人姉妹』を集中して観察した。

    堀江新二は,チェーホフの研究者であるが,1901年のものと,1940年のものと,比較している。こういう研究書を読むと,ずいぶん昔の演劇が,時とともにどう変化し,なおかつ生きのびてきたかわかる。チェーホフの演劇は,それまでの演劇とちがって俄然現代的である。それまでの,演劇には,必ず王様が出てくる。場合によっては,幽霊・妖精までも。そこにいくと,チェーホフの残した代表的な作品は,劇的な展開はないが,現代人が生きていくなかで,素朴に思う疑問やら,不合理なできごとが,いっぱいある。

    たぶん,老医師チェブトゥイキンのようなことを言ってしまったら夢も希望もないだろう。そのために,1940年には,「夢への実現・明るい未来を志向する時代にふさわしくない」との理由で,台詞「おなじことだ」はカットされている。何のために生きているか,わかろうとも,わからなくても,同じだと水をさすからだ。

    当初イリーナは,働くことは,喜びであると思っていたが,実際の職場生活は,楽しいものではなかった。身近なひとたちの例を見て,幻滅もするが,なんとかトゥゼンバフ男爵との結婚に踏み切ろうとする(そこには,愛情はないかもしれないが)。しかし,男爵は,決闘にまきこまれ死んでしまうのだ。

    最後「わたしたちの人生は,まだ終わっていない。生きていきましょう。」という感動的な場面は,脳裏に焼き付いて離れないだろう。しかし,そんな前向きな志向も大事なのだが,チェブトゥイキンのいうとおり,人生は流れていくものである。「多少の努力も,水の泡になると覚悟して,やるならやってごらん」ということか。

    参考文献:演劇のダイナミズム・ロシア史のなかのチェーホフ(堀江新二)東洋書店2004

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    2013/03/30 02:32

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